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龍馬暗殺に長州藩が関与?
皆さん、こんばんわ。ずーーーーーと以前 ^^;
「竜馬暗殺再考」と題し以下の通り「各説」を取り上げてきました。

竜馬暗殺再考1 「標的=中岡説  」
竜馬暗殺再考2 「犯人=渡辺篤説 」
竜馬暗殺再考3 「犯人=佐々木説 」
竜馬暗殺再考4 「犯人=高台寺党説」
竜馬暗殺再考5 「犯人=見廻組説 」
竜馬暗殺再考6 「犯人=土薩連合説」
竜馬暗殺再考7 「黒幕=薩摩藩説 」
竜馬暗殺再考8 「黒幕=大久保説 」


<標的>中岡慎太郎 竜馬は巻き添え
<実行犯>京都見廻組 佐々木唯三郎以下6名
<動機>京都の治安維持のため(中岡は浪士の親玉)

<標的>竜馬、中岡は巻き添え
<実行犯>見廻組(今井によると7名・渡辺によると7名もしくは6名)
<動機>幕府側にとって竜馬は幕府転覆を謀る暴徒と同じ

<標的>竜馬、中岡は巻き添え
<実行犯>見廻組
<動機>薩長同盟のフィクサーとしての、あわせて大政奉還建策者としての竜馬への憤り

<標的>竜馬(中岡は巻き添え)
<実行犯>伊東甲子太郎の配下、富山弥兵衛ほか4、5人
<動機>桂・大久保らにとってはあくまで武力倒幕のためであり、伊東らにとっては勤王派としての独立資金獲得の手段および革命成就後の地位確保のため。

<標的>竜馬、中岡は巻き添え
<実行犯>見廻組(佐々木唯三郎・桂早之助・渡辺篤・世良敏郎・渡辺吉太郎・今井信郎・高橋安次郎・桜井大三郎・土肥仲蔵)
<動機>徳川幕府存続の命運を竜馬によって掻き回され、西南雄藩の思うように押し切られることを危惧したため

<標的>竜馬、中岡は巻き添え
<実行犯>宮川助五郎ほか陸援隊士5名、佐土原脱藩士3名から成る「土佐・薩摩人連合刺客団」。もしくは、宮川の代わりに中村半次郎が参加。
<動機>反坂本派の機運を背景として、親徳川的行動をとった竜馬を裏切り者として抹殺した。

以上は、現在までの諸説ですが、#369にUPしました様に、新説が登場致しました。

我が長州藩が関与し、実行犯は、【神代直人】と言うモノです。

上記8説を踏まえた上でこの説を考えてみるのもまた一考かもしれません。

「竜馬暗殺再考」



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小倉戦争
> 実は、小倉戦争のことについて色々調べているところですが、「船」の資料が思うように手に入りません。誰か、ご存じ無いでしょうか。

この時の長州側は、丙寅、癸亥、丙辰と乙丑ですが、その中の丙辰について。

万延元年(1860)閏3月7日、晋作が海軍蒸気科修行の為江戸行きを命じられていますが、その時乗船したのがこの船です。
(長州藩建造第1号の洋式帆船)

総長24メートル強の君沢形木造帆船で、安政3年(1856)に萩の恵美須ケ鼻造船所において起工、進水。

この君沢形は、プチャーチンが、安政元年遭難し、ディアナ号を失った際、幕府が代船、ヘダ号の建造に着手。
このヘダ号の同型を伊豆の戸田(ヘタ)と石川島で10隻建造。
最初の建造地である戸田が属していた君沢郷の名にちなんで命名されたモノ。


後、「小倉戦争」に付きましては、戦術などは、よく紹介されていますので、関連史料を紹介致します。
(戦術もと言うことであれば別途UP致します。(^_^)b )


【6月17日】の戦況

「この役や賊兵たいがい小笠原家の兵と相見へ、その勢、実は千人余もこれあり候や。所々散乱、細に相分らざれど、その兵三分の一は槍隊を用ゆ。賊中、即死手負ひなどこれある節は槍手四、五人をもって担ひ去る。味方即死、海軍二人、陸軍三人(奇兵隊一、報国隊二)、手負ひ、海軍六、七人、陸軍六人・・・」 
『奇兵隊日記』


【6月18日】山県有朋

「六月十八日 朝大草臥。五つ(午前八時)過ぎ山県狂介入来、高杉を尋ねて来たり候えども、高杉居申さず、直様帰り候」
『白石正一郎日記』


【7月3日】の戦況

「兼て高杉より申付けられ、昨(七月二日)夜半前、早船に乗組み、小瀬戸より小倉沖に迫り、幕の富士艦へ近寄り、蒸気釜の辺りを狙ひ、大砲三発を以て蒸気釜を打砕き、直ぐさま水練して各六人とも海を泳ぎ福浦へ帰り候なり」
『白石正一郎日記』


【7月27日】の戦況

「敵兵は我海路の兵をむかへて劇戦し、尤も防守を勉めたれぱ、銃声乍ち起りて、乍ち止み、暫時にして又大に起る。我兵死傷数十人に及びたれども、遂に進みて敵の三塁を抜き、赤阪口を占拠せり」
「(奇兵一小隊は)大鳥越より左に折れて、山間の樹木をはん援し、危がん飛流を跋渉し、凡て路なきのけん岨を冒し、遂に延命寺の険と相対する処に出で・・・劇戦する事数時に渉り・・・死者頗る多く、傷を蒙らざるものは、小隊中殆ど稀なり。実に非常の激戦なりき」

「・・・敵の軍艦は終日、大里と延命寺の通路を砲撃したるに由り、我兵大に苦み、輜重の運搬尤も困難を極め、随て小隊半隊司令官を初め、死傷頗る多かりし」
『山県有朋 懐旧記事』



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朗報!【奇兵隊日記完全復刻】
朗報です。(^^ゞ

本日の朝日新聞朝刊の中に以下の記事を見つけました。


【奇兵隊日記の完全復刻】

欠落埋まる「維新見る窓口」

幕末・明治維新期に長州藩で編成され、動乱を戦い抜いた軍事組織、奇兵隊。その当直隊士が書き残した「奇兵隊日記」の完全復刻版『定本奇兵隊日記』が、山口県徳山市のマツノ書店(松村久社長)から今月末に出版される。
奇兵隊評価は維新史全体の解釈にも影響を及ぼす問題で、十年かけて整備されたこの基礎史料は維新史研究のかぎとなりそうだ。
奇兵隊は一八六三年(文久三年)、高杉晋作によって創設された。
志を持つ農民や商人の参加を認め、藩の正規軍「正兵」に対する「奇兵」、ゲリラ軍の意味も持つという。
「奇兵隊日記」の原本は、品川弥二郎が京都に建てた霊廟「尊攘堂」に納められ、現在は京都大学付属図書館が所蔵、「尊攘堂本」として知られる。
写本は、山ロ県文書館の「毛利家本」、東京大学史科編纂所の「史談会本」などがある。
一般には、活字化された日本史籍協会叢書の『奇兵隊日記』全四冊が流布している。

しかし、研究者の間では、写本からとったこの『奇兵隊日記』には誤読や欠落が多いという定説があった。
田中彰・札幌学院大学教授(維新史)が「尊攘堂本」に基づく復刻と再編成を松村さんに持ちかけたのが十年前。
山口県文書館の元専門研究員田村哲夫さんが、交通事故による体のまひを乗り越えて解読・校訂をすすめ、完成させた。

『定本奇兵隊日記』は全五巻、二千四百ページ。原本が紛失している巻は「毛利家本」をとり、編年で配列した。
新資料として五千三百人の人名索引、絵図四十九枚などを付けた。
監修の田中教授は「奇兵隊日記は維新を見る窓口として最も重要なキーポイント。欠格があるため分からない問題があった」と話す。
維新史研究の井上勝生・北海道大学教授は「学問的な検討に堪える正確なテキストだ。未公開だった戊辰戦争の作戦図などの絵地図も加わり、研究がやりやすくなった。奇兵隊の位置づけは維新論争の争点だったが、ここ十年は研究が下火なので、これを機に盛んになることが期待できる」と評価している。


あの『奇兵隊日記』の全貌が明らかになるというもので、今から楽しみですが・・・

ここで問題が発生いたしました。^^;

定価八万円!! ^^;

一括支払いは、ちと!しんどいです。

(注:2015年6月時点で、37800円・54000円で販売されています。)

問い合わせはマツノ書店(0834-21-2195)

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辞世の句、詳細
「東行遺稿」によれば、

面白キ事モナキ世ヲモシロク 住ナスモノハココロナリケリ

とあります。「東行遺稿」は「晋作直筆の原本を写したもの」とされていますので、「に」が正しいと言うことになります。
尚、この歌は慶応2年の作としてあります。


(異説)
慶応3年(1867)2月説。この頃「野村望東尼」が晋作を見舞っています。
作家 杉田幸三 が次の一文を雑誌に載せています。

<「人ハ人吾ハ吾ナリ・・・」として、「面白キ事モナキ世ニヲモシロク」(高杉)続いて「住ナスモノハココロナリケリ」(望東尼)がある。まだしっかりしていた頃に綴ったものだろう。> 

さらに、此の辞世の句の前に、「落花斜日恨きわまりなし 自らは愧ず残骸の晩風に泣くを」という、詩を望東尼に見せて、批評を仰ぐと、「もっと元気な詩を書いてくれ」と望東尼に云われ、辞世の句を書いた。と云われています。

何れに致しましても、晋作が亡くなったのが慶応3年4月14日ですので、死ぬ寸前に読んだモノではありません。



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龍薬と晋薬
最近、黒鉄ヒロシ氏の「坂本龍馬」を見ましたが、(アニメ)

その中に、『龍薬』という内容のモノがあり、なかなかの内容でしたので、紹介いたします。

「(前略)ー司馬さんがお創りになった龍馬さんは、当然のように実像ではない。敗戦後の日本人が喪ったものは物品よりも精神性であろう。喪った「ナニカ」を司馬さんが龍馬さんを主人公として紡いで見せて下さった。実に龍馬さんは薬なのである。抜群の効き目を持つ薬に対して歴史の研究という外科手術を施すことに抵抗を感じる。薬・坂本龍馬は未来人にもきっと良い効き目を表すと思う。疑問符は推論でしかない。野暮なのではありませんかと申し上げたい。副作用はないのである。危険性がなく元気になれる薬ならそのままにした方が良いと考える。新史料を斜めに読むことによって龍馬さんの位置を下げることにどれほどの意味があろうか。良薬を失ってしまうだけである。」

龍馬が『龍薬』→『良薬』であれば、晋作は『晋薬』→『心薬』か。

晋作にも『虚構』は、多い。

三枚橋、関所破り、征夷大将軍発言等・・・・

上記の意見、なるほどうなずける点もある、しかし、真実を探求する事も歴史の面白さではなかろうか?

真実が、解ったとて、『薬』に代わりはないのではないか、と思う。

私にとって、龍馬は、『良薬』かもしれないが、源となるエネルギーではない。やはり、『心の薬』が必要なのだ。

久しぶりに、言い得て妙の表現に出くわして、思いのまま書いてみました。



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