晋作と小五郎
「晋作」と「小五郎」について中岡慎太郎は、慶応2年、板垣退助に宛てた手紙の中で次のような評価をしています。

「胆あり、識あり、思慮周密、廟堂の論に堪ふるものは長州の桂小五郎。識あり、略あり、変に臨んで惑わず、機を看て動き、気を以て人に勝つものは高杉東行」

この長州藩攘派を代表する2人は、「志」は同じなれど、行動は異なっています。

一言でいえば、晋作は戦略家であり、小五郎は政略家ではないでしょうか?

「防長割拠」についても、「晋作」のそれは、藩主をはじめ長州人全て帰国して防長二国での割拠に徹し、藩内の富国強兵に専念して討幕を押し進めようとするものに対し、「小五郎」のそれは、正義の雄藩を連合して幕府勢力に対抗しようとする正藩連合大割拠です。

それと、「小五郎」は「晋作」のよき理解者です。
血気にはやる「晋作」を上海に行かせて国際情勢を肌で感じらせたのも「小五郎」の配慮によるものです。

維新の表舞台で華々しく散った「晋作」、裏方として実務に腕を振るった「小五郎」。

もし・・・「晋作」が明治2年11月の奇兵隊ならびに諸隊の叛乱まで生きていたら、両雄対決という悲劇が生じたかもしれません。



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