松陰主義とは
「軍国主義」の台頭と共に、当時の子供達は、「神勅」「教育勅語」の丸暗記、「紀元節」「新嘗祭」をはじめ国の祝祭日の意義、「国歌」の意味、「忠君愛国」とは何か、を繰り返し問題形式で出題され叩き込まれていたそうです。

そして、松陰こそは、その具体的な理想の目標とされる。

大東亜戦争勃発当時となると、毎朝「士規七則」をクラス全員で唱和させられ天皇絶対の「大義」の為に、松陰思想は総動員され、最大限強調されていく。

1942年(昭和17)発行の「松陰主義の生活」に次のように記されている。

「個人主義を捨てよ。自我を没却せよ。わが身は我れの我ならず、唯だ 天皇の御為め、御国の為めに、力限り、根限り働く、これが松陰主義の生活である。
 同時に日本臣民の道である。職域奉公も、この主義、この精神から出発するのでなければ、臣道実践にはならぬ。
 松陰主義に来れ! しこうして、日本精神の本然に立帰れ!」

つまり、松陰主義は天皇のために命を投げ捨てることだと・・・

そして敗戦と共に、天皇絶対の価値観は崩れ、それと共に「吉田松陰」抹消。(ーー;)

松陰が復活するのは、1951年(昭和26)奈良本辰也著「吉田松陰」(岩波新書)が出版されてからである。

それにしても、毎朝「士規七則」をクラス全員で唱和とは・・・

よろしかったら、以下唱和して下さい。(^^ゞ

一、凡そ、生れて人たらば、よろしく人の禽獣に異るゆえんを知るべし。
  けだし人には五倫あり、しかして君臣父子を最も大なりとなす。
  故に人の人たるゆえんは忠孝を本となす。

一、凡そ、皇国に生れては、よろしくわが宇内に尊きゆえんを知るべし。
  けだし、皇朝は万葉統一にして、邦国の士夫世々禄位を襲ぐ。
  人君、民を養いて、もって祖業を続ぎ、臣民、君に忠してもって父志を継ぐ。
  君臣一体、忠孝一致、ただわが国をしかりとなす。

一、士の道は義より大なるはなし。義は勇に因りて行はれ、勇は義に因りて長ず。

一、士の行は質実欺かざるをもって要となし、巧詐過を文るをもって恥となす。
  光明正大、みなこれより出ず。

一、人、古今に通ぜず、聖賢を師とせずんば、すなわち鄙夫のみ。
  読書尚友は君子のことなり。

一、徳を成し材を達するには、師恩友益多きにおり、故に君子は交遊を慎む。

一、死して後やむの四字は言簡にして義広し、堅忍果決、確乎として抜くべからざるものは、
  これをおきて術なきなり。



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