尾大の幣
奇兵隊の特徴は、「反封建的エネルギー」であり、「民衆パワー」といってもいい様な要素を多く持っていました。そういう軍事力が膨れ上がってくる、

桂の言葉で言うならば、「尾大の幣」、尻尾ばかりが非常に大きくなってどうにもならなくなってくる。

権力の側にとってみれば、そういうものがどんどん大きくなって実力を持ってくると、何時それが爆発するかわからない。自分たちが幕府を倒した時は必要だったけれども、一旦其れまでの権力を倒してしまって、今度は自分たちが権力をつくるとなると、邪魔になる。

「維新の矛盾」とでもいいましょうか、反封建的な民衆パワーを使って幕府を倒したけれども、実際に新しい権力というのは民衆寄りの権力かというと、必ずしもそうではない。

明治元年閏四月、新政府は中央直轄の常備軍をつくる構想を打ち出します。
そして、其れまで各藩が個別に持っていた軍事力に対し、厳しい制限を加えて行きます。奇兵隊など維新の戦いで活躍した諸隊に対しても、新政府の姿勢は変わりませんでした。
当然、奇兵隊は縮小を余儀なくされて行く・・・

こうした動きの中で、長州藩ではついに明治二年二月、奇兵隊、諸隊を解散し常備軍に再編成するとの発表が行われています。

しかしながら、常備軍に再編成されるのは、奇兵隊、諸隊の兵士のおよそ30%にすぎず、残りは何の補償もない。さらに、常備軍に組み込まれるのは奇兵隊の幹部階級に限られています。

元々、身分にかかわらず結成されたはずの奇兵隊、諸隊に、長い戦いの中で幹部階級と一般兵士との間に新たな「身分格差」が生まれてきた、すなわち、新しい時代に自分たちが主役になることを夢見た若者達に、再び身分の格差がのし掛かってきた。

「天下の人心は、以前とは異なっている。民衆の心は新政府を離れている」
「王政は幕政にしかず。薩長は徳川にも劣る」

明治二年十二月、奇兵隊、諸隊の兵士「1200名」が脱隊。それに農民一揆が加わり、明治三年に入ると、反乱軍は山口の藩庁を包囲。

此の叛乱に最も強い姿勢で臨んだのは「桂小五郎」(当時:木戸孝允)

薩摩などの助けを借りては新政府の於ける長州の立場が弱くなってしまうことへの危惧もあってか、大軍を投じ、力によって押さえ込んだ。

明治三年二月、奇兵隊、諸隊の叛乱は、圧倒的な軍事力の前に幕を閉じた。

そして・・・厳しい処刑が、人々の前で行われたのである。

「首を打ち落としたら『お見事!』と云って、髪の毛を掴んで振って、放ったという話です。その首は八幡様の前の池のところへ何日も晒されたという話です」

切腹:9人 打ち首:84人 戦死:60人超

其の多くは農民出身の若者達であった。

高杉晋作がその短い生涯の全てを賭けて生み出した長州奇兵隊は、明治新政府との戦いによって流された血の中に消えていったのである。

昔、長州を旅したときに、「通化寺」で見た弁当箱の落書きを思い出します。

「ばかじゃばかじゃといわれていても、胸に魂がありさえすれば、いつか世に出て・・・」

今一度、晋作の辞世の句を考えて見れば、奇兵隊に参加した若者の気持ちが、分かるような気がします。

奇兵隊に参加した若者たちは、それぞれの胸にある「面白き世」を求めて戦った。そして、新しい時代が「面白きこともなき世」であると感じたとき、再び新政府に対して戦いを挑んだ、のではなかろうか?



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