【奇兵隊日記】破ったのは誰か?
2月に【奇兵隊日記の完全復刻】が出版されましたが、
元治元年8月5日から9日までの欠落部分どうなっているのでしょうか?

この5日間分を破り捨てた人物がいます。

つまり、この5日間に登場する人物の行動(活躍)が記述されていては不都合な人物です。
この5日間に登場する人物は赤根武人だと言われています。

一方、破棄したのは誰か?

「奇兵隊日記」の原本は、品川弥二郎が京都に建てた霊廟「尊攘堂」に納められましたが、それ以前は、山県有朋の手許にありました。

明治44年、赤根の遺族が贈位の審査を願い出た際、史談会では贈位然るべしとの結論を出したにも拘わらず、山県の反対により贈位は見送られています。

山県が反対の根拠にしているのは、赤根の履歴を汚した最期の他に、連合艦隊との戦いで赤根が奮戦したとする贈位資料の記述がでたらめだと言うモノです。
山県曰く「両日の戦争中、赤根はほとんど一令も発せず、其の挙動すこぶる隊中の侮るところ・・・」

この奮戦した日が日記の欠落部分と符号します。^^;

この間の赤根の行動は白石正一郎の日記に記載されています。
この日記を読む限り赤根は奮戦しています。

山県は私怨により贈位を反対したと言われていますが、真実はどうなんでしょう。

いずれにしても、欠落の5日間読んでみたいものです。

【奇兵隊日記】読まれた方は、この5日間の部分どうなっていたか教えて下さい。m(__)m

攘夷戦争を調べている際に、この赤根贈位問題が目に留まりました。

因みに、熊本の図書館には【奇兵隊日記】ありません。^^;


完全復刻版『定本奇兵隊日記』マツノ書店

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