続「反魂香」(第四回) 明治33年1月15日発行
強盗お良の草庵を襲ふ

明治の御代になったとは云へ、未だ人心がおだやかでなく、殊に徳川方の敗兵が夜京都市中を横行して、其害を被る者が、沢山ありました、夜に入っては誰一人往来する者も無く、婦女子はいふに及ばず、日頃から、向鉢巻の勇み肌の巻舌の江戸の大哥も、長屋深く潜み込むで、二合の酒に酔は発しても、大口開いて唄はぬといふ有様、昼は紅塵万丈の巷も、夜に入っては、村落よりも淋しい位ゐです。
お良は国を飛び出して、東山(龍馬の墓)の片畔に、いささかの草庵を結び、念仏三昧に日を送って居りましたが、或夜の事でした、夜風が颯と杉の木立を掠めて、梟の声哀れに四更を告ぐる寺の鐘の、長く尾を曳いて消えゆく頃、背戸の方に人の来る気配が、仕ますからはてなと耳聳立て、気を静めて居りますと、突然がらりと戸を排して、這入って来たニ人の強盗、矢庭にお良の胴先きへ白刃を突きつけて、やい静かに仕ろ、衣服は勿論有金残らず出して仕舞へ、吼え立てると叩き斬るぞと、脅しつけますと、お良は平気な者で今迄、随分白刃の下や、死地へも赴いた身ですから、ビクとも仕ませむ、襟かき合して強盗を見上げ、何です、金が欲しい、ほほほほ静かになさい、近所の人が目を醒すと面倒ですよ、さあ妾とー緒にお出でなさい、沢山はありませむが、百両位ゐはありますからと、元より無いは承知の前で、先きに立って納戸へ這入ましたから、強盗も相手が怖れるとか縮み上るとかすれば、張合があるが、案外に平気で出られたので、少し狼狽へながら後からついてゆきますと、お良は納戸を明けて取り出した包物一個、強盗は受取つて中を改めて居る隙を伺ひ、手早く取り出した短銃を不意に轟然一発、打ち放ちましたから、いや強盗奴、驚くまい事か、ウワッと叫むで次の間へ転げ出し、白刃も鞘も投げ捨てて、命からがら元来た道を、雲を霞と逃げ去りました。


闇夜の山路

お良は東山の草庵を出て、江戸をさして登つて来ましたが『旅館寒燈独不眠、客心何事転凄然』男でさへ独旅の長の道中は、淋しいのに、ましてや女の身の頼む人もなく、管の小笠に半身を隠して、暁起きに道を急いでは、夕に泊りの数を重ねて、漸く伊豆の三島へ辿りついた頃は、今で云へぱ午後の三時頃でした。
未だ日は高し、足もさほど疲れませむから、いつその事、合の宿迄行つて泊らうと、亦も足を早めて、玉くしげ箱根の山路にかかりましたが、女の足の運びも遅く、休み休み登りますので、刻の経つのは早いもの、いつしか霧のやうな暮靄は、見渡す山亦山の頂を包み初めました、漸く山腹迄来た頃で、日が暮れては心配だ、こむな事なら三島へ泊れぱ宜かつたにと、今更悔むでも詮なくええ如何なる者か、行つて見やうと、追々暗くなる足元に気をつけながら、登つてゆきます程に、日は全く暮れて、闇の夜ですから、一寸先きも見えぬといふ位ゐです、道は険しく、提燈はなし、人は通らず、唯聞えるものは、松にあたる夜嵐の響と、岩に激する谷川の音ばかりで、流石のお良も、少しは心細くなって来ましたが、我と我心を励まして、猶も手探りに殆ど這ふやうに仕て、登つてゆきました、すると何か手に触れるものがありますから、はて何であらうと、思ひながら、二足斗りはなれましたが、何となく気にかかつて、今一度探って見たいやうな気が仕ますから、亦さぐり寄つて、触って見ますと、衣服の袖のやうですから、たぐりながら近寄ってなで廻すと、人が立って居るやうです、をやつとー時は驚きましたが、はてなと亦、大胆にもさぐり奇つて撫で廻すと、首に縄がついて居て、足は浮いて居るやうす、をやっとニ度吃驚、思はずニ三歩退く途端に、足辷らして五六間坂下へ転げ落ちました。
白昼でさへ縊首者に出逢ふのは、あまり気味の好い事ではないのに、殊に闇の夜の、人通りのない山路で、探り当てたのですから、お良は立ちすくむだまま、行く事もならず暫くは如何しやうかと、考へて居りましたが、何時迄此処に立って居たとて、仕やうが無しどのみち、行くものなら、一時も早く合の宿へ着くが得策と、却って勇気が出て、今度は他の物に気ををかず、一所懸命に歩みだしてやうやく合の宿へ辿りつき、早速宿をもとめて、一先づ吻と息をつきました。


お良の憤怒

話は前に戻りますが、未だお良と母と妹二人が、父親に死別れて、一家は落魄し、京都の木屋町に居た頃でしたが、お良が用あつて他処へ行った留守に、或日の事、下河原の芸者屋の玉家といふ家の女将で、お吉といふ狼婆が訪て来てお貞に面会し、先づ将作の死亡した悔みをのべて、以前種々世話になった事や生前の逸話なぞを、かつぎ出した末に、妾もいろいろお世話になりましたから何うかして御恩報じを仕たいと思ひますがついては、大坂の去る大家に、小間使いが欲しいと、探して居るを幸ひに、何うでムいます御宅も失礼ながらお困りのやうですから、光枝さんをお遣りになつては、なあに貴婦、向ふは御大家の事ですから、決して御心配には及びませむ、そうすれば貴婦もお楽になり、第一光枝さんも、先きへいって、出世をするやうなものですから、総ては妾が取計って、宜いやうに仕て上げます、お遣りなさい、お遣りなさい、かういふ宜いロは亦とありませむよほほほほほと、爪をかくした猫撫声に、お貞はうかと乗せられて、それでは如何か宜しくお願ひ申しますと、承知仕ましたので、狼婆奴、〆たと腹の中で笑ひながら、愛嬌の有るだけ、振り蒔いて、光枝を拉れて、ゆきました。
そむな事とは知らぬお良は、帰って見ると、妹の光枝が居ませむから、如何したのかと母に聞くと、これこれと訳を話しましたので、そりや大変です、彼の婆が一通りやニ通りの悪婆ぢやありませむよ、彼女の手へ渡したら最後、満足では帰ってきませむと、聞いて母もふさぎ出し、お良如何仕たら宜いだらうと早や涙ぐむで、をろをろ仕て居ますから、お良は、宜しいお母さん、御心配なさいますな妾しが行つて取り返して来ますからと、金子を調へて、先づお吉の家へゆき、此処で亭主と言ひ争った末に、愈大坂の居処が知れて、お良は大坂へ渡り、ドブ池といふ処に、お吉と他に男が三人無頼漢風の奴が、光枝を取りかこむで、何か言って居ります処へ、突然坐り込むで白眼み廻すと、流石の四人も、不意にお良が来たので、唯呆然と仕て居りました、お良はやがてロを開き、おいお前さん方は何たって妹をこんな処へ連れてきたんです、母に聞けば大家へ小間便ひにやるとか、いふそうですが、妾の眼の黒い内は、めったに妹を他処へは遣りませんよ、さあ、妾が妹を連れて帰りますから、其積りで居て下さいと、立上つて妹の手を執ると、一人の男が、失庭にお良の腕を捉らへて、やい阿魔、何でい、此女を如何するといふんでいと、眼を怒らせて今にも飛かからむ勢ひ、お良は平気で、何だとい、此女を如何する、フン自分の妹を自分が遅れてゆくに、何が如何したとお言ひだい、ふざけた事を言ひなさむな手前達は何だい気の毒だが、真白昼往来を両手振つて歩ける身分ぢやあるまいいけづうづしい畜生だつと、最早怒り心頭に発して居るものですから、思ひ切つて男の横面を、火の出る程撲りました、をやっと外のニ人が立上らうとする奴を、傍にあつた火鉢を執つて、投げつけますと、ぱっと上る灰神楽、即意即妙の目つぶしに、三人とも、目をやられて、言ひ合したやうに台所へ馳せゆく隙を窺ひ、光枝の手を執って表へ出ますと、お吉婆が背後から、帯を捉へて引戻そうとするやつを、エイツと蹴飛ばして、逃げ出し、ハ軒屋の京屋といふ船宿に飛び込むで、三十石船に乗り、京都へ帰つて我家へ着きました。
すると今度は少妹の君江が居ませむから、亦如何したかと聞くと、母は昨日中根のおつぎさんが来て、今度舞の会があるから、君江さんを貸して呉れといふて来たから、かしてやったが、まだ帰って来ないと、眉をひそめて居ますので、お良はニ度吃驚、虫戯ぢや無いお母さん、彼の人に君江を渡しちや、ろくな事は仕ませむよ、ありや他の家の娘を欺して連れて行つては、芸娼妓に売り飛ばして、金にする悪い奴ですよ、お待ちなさい、亦妾が行って連れて来ますからと、急いで中根の家へ行って、種々談判の末、遂に連れ帰つて、一先づ安堵しましたが、此侭此家に居ては亦どんな事が持上るやも知れずと、人を頼むで光枝を公卿伏原家に奉公させ、君江を大仏の加藤といふ本陣へ預けて仕舞いました。

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