「維新の残夢」(第一回) 明治33年3月15日発行
一力の豪遊

大仏騒動以前、お良が末だ扇岩に居た時分の事です、龍馬が江戸の勝安房を訪問するに就いて、長の道中、何時また逢ふやら蓬はぬやら、と洒落れても居られまい、甚○だお別れに一杯遣らうぢやないかと、言ひ出したので、酒と聞いては、目の無い管野角兵衛、いの一番に賛成すると、我もと望月亀弥太が早や支度に取りかかつて、ありし荒武士の姿はどこへやら、縞の単衣に紺の前垂、顔は恐ろしいが姿は優しい手代風ですから、こりや面白い、それぢや各々姿を変へやうと、龍馬は易者、管野は大家の番頭風、お良を白面緑髪の若衆姿にして、こつそりと、祇園の一力へあがりました。
お定まりの仲居が出て挨拶をする、料理の注文を聞く、惣花をまく、酒が出る肴を運ぶ盃を飛ばす、箸をひねる、やがては大きい白首と小さい白首とが、唄ひ出す躍りだす、角さんの隠し芸、亀さんの追分節、龍さん迄が胴魔声を張上げて、お前百迄わしや九十九まで、共に天下の……と浮れ出す大乱痴気、お良は何処迄も男の風姿をして居ました。
とも知らず、下には新撰組の者等が、あまり騒しいものですから、若しやという懸念でづかずかと店先へ来り、主婦を捉へて、こらをい、甚○したむだ、二階が騒しいぢやないかありや何者だと、頭から怒鳴つけました、処が此家の主婦といふは、一通りやニ通りで喰へる女ぢやないので、元々龍馬や管野なぞは知合の、且つ勤王家といふ事も知って居ますから、平気な顔でありや貴夫、五条の薬屋さんですよ、怪しい者ぢやありませんむ、手前共は、失礼ながら臭い客をあげるやうな料理屋ぢやありませむよ、嘘と思召すならば、あがって見て御覧なさい、御遠慮なくと、澄したもので、吸つけの煙草の煙を、ぷうツと輪に吹く面魂、新撰組の奴等、つひに巻れて了ったと見えて、別にあがつて咎めもせず、其侭残惜しさうに二階を睨みあげて、さつさと立去りました。
やがて主婦がニ階へ上って来て、龍馬を襖の蔭へ呼び出し、只今これこれでしたと、話しましたので、龍馬も底気味悪く思ひ、彼等は執念深い奴斗りだから、今は立去つても、屹度様子を窺って居るに相違ない、長居は無用跡を頼むと、四人はさうさう裏ロから往来へ出ましたが、丁度木屋町の手前迄来ると、向ふから、夜鳴蕎麦がきましたので、此処迄来れば大丈夫だらう、寒いから一杯喰つて行かうと、呼留めて、喰ひ初めました、すると蕎麦屋奴、何を思ったか、四人の姿を、眤と熟視めて居りますから、お互に戒め合って、油断せず、ロを動かしながら、フト蕎麦屋の懐を見ると、十手の房が、二寸ばかり出て居ますので、さては此奴がと、心で黙頭いで、銭を払ふが否や、物をも言はず、傍に寄るよと見る刹那、ズドンと一発、錬へ上げた鉄拳で、横腹の三枚目を、力に任せて、突上げましたのですから、不意を喰った蕎麦屋は、うむッと一声大地にたうと打倒れる奴を、見向もせず、四人は駈足で逃出しました。
処が如何したのか、四人ともちりぢりばらばらでお良は独り木屋町の外れまできますと、何処とも無く、もしもしと呼ぶ声が聞えました。


もしもし屋

はてなと立止つて、四方を見廻しましたが、別に人の居る様子もなし、不思議に思ひながら、亦歩み出すと、もしもし烏渡と亦呼び留めましたので、思はず声のする方を見返りますと、右手の、「もしもし屋」の窓から、女が手招きして居ました。
此もしもし屋といふのは、今で云へぱ遊女屋のやうなもので、二間の間ロに一尺四方位ゐな窓が開けてあって、遊君は跡にも先にもたった一人、それが窓の内に坐って居て、前を通る者を呼び留めては、果敢なき夢の手枕に、暫しの情を売るのです、お良はそれと気付いて、内心可笑しく思ひながら、一番担いでやらうと、其侭相談を決めて、奥へ這入り酒肴を取寄せて呑初ました。
何がさて、美人のお良ですから、男に化けても、矢張り美少年です、遊女は流れ身の、初会から憎からず思ひ初めて、待遇振りの大方ならずでした、酒も尽き肴も喰ひちらして、いざお床と言ふ段になると、お良は突然立上つて、俺は帰ると、襖へ手をかけましたから、いや遊君驚くまい事か、顔を真赤にして慄へ声で、後から縋りついて、串戯ぢやありませむ、余りです、それぢやお情ない、薄情といふものですと、ぼろぼろ涙を溢す可愛さ、可笑しいやら、可愛想やら、気の毒やらで、お良は化の皮を現し、姉さん堪忍して頂戴、妾や女ですよ、悪い気で担いだむぢやないからね、と何程かの鳥目を、白紙に包むで、投出しましたから、遊君は二度吃驚、まあ・・・・と呆れて、開いたロが塞がらぬ内に、左様ならと、腹を抱へて大仏へ帰りました。


高松象山を逐ふ

勝安房は徳川方の大立者、其亦緑につながる佐久間象山は有名なる学者、彼んな奴を向ふに立てて居ては、此方の思ふ様にはならないと中にも高松太郎が耐り兼ねて、或夜象山が勝邸から、出て来るを待伏て居りました。
とも知らぬ象山は、悠然と栗毛の馬に、泡吹かせて、門番に送られながら、五六間此方へ来た油断を見澄し、突然駒の前へ、仁王立に両手を拡げて、待つたと呼ひ留めましたから象山もギヨツとして、駒を留めた隙を窺ひやつと抜打に斬付けるやつを、閃りと身をかはして、馬に一鞭、躍上って遁出しますから己れ遁して耐るものかと、尚も迫打に斬下した切先が外れて、馬の尾を斬落しますと、之れに驚いて馬は、遮にむに主を乗せたまま何処ともなく遁うせまし
た。


貞操人に屈せず

お登勢(寺田屋の主婦)の貞操は前の『反魂香』にも既に書き記しましたが今更に其一節を述べませうか。
お登勢の夫の弟に、太兵衛といふ者が、道具屋を営むで居りました、処が日頃此登勢に想をかけて、何時か当ってやらうと、考へて居ましたが、未だ兄の伊兵衛も存命で居るし、商売柄に似合はぬ固い女ですから、空しく腕を拱むで時節の来るのを待って居ました。
処へ伊兵衛が死亡したものですから、其の機失ふべからすと、何とか名をつけては、寺田屋へ出入して折々は袖を曳く、振られる、尚も曳く、はねつけられる、ひつツこく曳く、怒られる、逼る、恥を掻く、犬と言はれ、猫と罵られて、大の男が何時も辱められる斗りですから、内心むやむやして、畜生ツ、今夜こそはと、或夜人の寐静った頃を窺ひ、亦もこりずに挑みましたので、遂にはお登勢も堪忍袋の緒が切れて、執られた手を振り放つが否や、兼て用意の短刀を、逆手に握って、眼を怒らせ、さあ太兵衛さん、妾にも荒神様がついて居ますから、美事手に入るものなら入れて御覧、今度は用捨をしませむぞと、怒髪衝天の形相恐しく罵ったものですから、太兵衛奴慄上って、頭を抱へたまま襖の外へ遁出しました。


英雄酒を好む

お良女に聞くと、龍馬の酒量は、量り兼ねると云ます、慶応三年の春でした同志の人々と京都から、伏見帰つて来る途中、何うだ冷酒を一杯づつ、呑つて行かうと、傍の居酒屋へ這入り込むで、凡一升五合も這入らうかと思ふ程の大きな丼へ浪々と酌がせ、さあ之れを一息に呑み乾すのだといふ、よからうと、例の角さん、真先に進み出て、先登第一、一番首をしてやらうと、両手振ってぐうと呑み初めましたが、此冷酒といふものは、一升程になると、一息では呑めないさうで、流石の角さんも、耐らなくなって、ホツと一息、丼を見ると未だ半分斗り残って居ますから、残り惜さうに次へ廻すと、中岡慎太郎は七分迄平安佐輔は八分迄、独り龍馬は一息に一升五合を呑み乾して、息を吐く事虹の如しでした。

|| ||