続「反魂香」(第一回) 明治32年天長節臨時発行
将作の悔悟

誰しも一ペンは女色に迷ふもので、石部金吉の本家本元と噂をされた奈良崎将作も、京都祇園町の歌子と云ふ芸者に現を抜かして、少なからぬ財を費した事がありました。
未だ将作の母が生きて居る時で、将作がニ十五の歳でした、お定まりの悪友に誘はれて一夜祇園で大散財を仕て、遂には今でいふ待合のやうな所へ酔ひ倒れて、前後も知らず寐て居りましたが、フト目か覚めて枕元を見ますと、知らぬ家に寐て居る斗かりか、宵に侍した歌子といふ円ぼちやが、寐巻姿のしどけなく坐つて、羞かしそうに顔赤らめながら、貴郎お冷水でも上げませうかと云ふ顔の、憎き程色白く、ほんのりとさした桜色の、えも云はれぬ匂ひですからそこは木石ならぬ人間の将作も、つい可愛くなつて、読者は華涎十丈といふ仲になったものですから、さあ其後は雨が降っても、風が吹ひても烏鳴のない日はあつても、将の通はない日は無いと云ふ位ゐで、尤も少しは財産もあるので金に困らない処から、せつせと通ひ詰めて居ましたが、矢張り野に置け蓮華草とは云ふが、彼の商売では、時によれば、仇な人の眺めにならぬとも限らず、こりあ宜しく手折って床の眺めに、己れ一人楽まんと、変な処へ気を廻して、遂には落籍させて、お定まりの猫一疋に婆一人、磯で曲り松港で雌松、中の祝町が男松を、朝寝の床から見越しながら、いそ節唄はせる身分に仕て、相かはらず妾宅通ひ、嬉し涙と涎とを盃の中へ、垂し込むで、其侭ぐつと呑みほし、此酒は馬鹿に水っぽい、もっと宜い酒を買つておいで、そのついでに魚屋へ寄って刺身に洗ひに塩焼きにそれから牛肉も買つて来なと、散々馬鹿を尽して居りました。
処が人間は悟る時は、意見を仕なくても悟るもので、或日例に寄って歌子の顔を見ながら、一杯呑まうと家を出て妾宅へ来て見ますと、歌子は火鉢に倚りかかつて、草紙を見て居ましたが、婆が御新造さん、ハ百屋にニ百文遣るのですがと云ひますとそうかへと云ひながら、箪笥から青銭を取り出しニ百文抜いて婆に渡して、あとの金をぶんと投げ込むで、足でひきだしを閉めました。之れを見た将作は、ああ俺が悪かつた、成程、芸娼妓は卑しい者だ、いくら姿が美しいからと云つて、今の行為は何事だ、殆ど女としてなすまじき事だ、ああこんな者にかかり合つて居たら、末始終が思ひ遣られると始めて、茲に将作は全く迷ひの夢が醒めて、其場で直に手を切つて、後に近江八日市の重野重兵衛の娘をめとって、夫婦仲好く暮しました、それが即ちお良の母お貞です。


怪しの切腹

之れはお良に聞いたのでなくて、僕が十二歳の折り、亡父が兄に話したのを、今思ひ出して書くのですが、海援隊の近藤長次郎と今の伊藤博文と井上馨の三人が、密に上海へ渡らうと相談仕ました。其頃は鎖国の論が盛むで、海援隊なぞは無論尊王攘夷ですから、若し知れては大変と、秘密の上に秘密を守つて居ましたが、遂に露見れて伊藤井上は素早く長崎へ逃げ行き、近藤は不運にも人もあらうに隊中に乱暴者、無鉄砲の菅野角兵衛に、捉へられました。
さあ角さん怒るまい事か、顔から火を出して、二三の同士と或夜京都四条河原へ連れ行き、此野郎、太い奴だ、何故我々の目を忍むで、上海行を企てた、我隊の主意を知らむ事はあるまい、貴様のやうな奴は同士の面汚しだ、其様な奴は斬捨ても苦うないが、様別を以て切腹で我慢仕てやる、さあ切れ腹を切れと迫られて近藤も切腹位ゐは安い事ですが、今死むではあたら、犬死と思ひましたから、再三詫入つたが、角さんなかなか聞かない、遂には是非なく詰腹を切つたそうですが、一説には菅野がお手伝ひを仕たとやら、何しろ怪しい切腹だそうです。


火の玉

これは大阪の話で、僕の母も知って居るそうですが、お良が同地に居た時分(維新)或夜の事でー同が寐静まって往来も淋しくなった頃、家の内に居て眼を眠つて居ますと、パット明るく映るものがありますから、ハテナと起き上つて表へ出ると、人が騒いで居ますから、何事かと聞きますと、丁度道を歩ひて居た人が、今東から西へかけて、それはそれは大きな、丁度四斗樽程の火の玉が飛むで行ったので、私は思はず地へ俯伏しましたと、まだ顔の色を変へて居るので、皆不思議に思って居ましたが、翌日大阪城の濠にー間計りの、昔から住むで居るぬしと云はれて居た、山椒魚が、死んで居たそうですが、間も無く長州征伐で徳川が敗れ将軍が死亡したそうです。まるで狸にでもばかされたやうな話ですけれど、聞くがまま書き入れました。


秘密の艶書

会津又は新撰組の詮議が厳しいので、同士の人々或は、勝安房、西郷、木戸なぞと手紙の往復するにも、若し敵方の手に入つては、秘密を知られる恐れがあると、云ふので、一計を案じ出して総ての手紙を女の艶書のやうに書き送る事と定めました、中を明けて見ても『お前様に恋ひこがれて、一目御めもじをいたしたけれど、人目の関のきびしく、ことにさく夜はあまりのなつかしさに忍び出てんと思ひ候ひしに、憎くや父様に見いだされ心ならずも押し篭められなきの涙に、日を送らねばならぬ身となり申し候、なにとぞなにとぞせめての思ひやりに、今宵ひそかに御忍び下されたく、つもる話もいろいろこれあり打解けてたのしみたく、心ばかりはせき候へども、なみだに筆さへまはりかねてをしくもあらあらざっと申送候かしこ』と、胸の悪くなるやうな事が書いてありますが、之れを解いて見ると、昨夜お話申す事があって貴君を訪ふと思つたが、何うも道で怪しい奴に出蓬ひ(父様に見いだされ)遂に其意を得ず帰宅仕たが(心ならずも押し込められ)急に江戸へゆく用が出来たので(なきの涙に日を送る身となり申候)それに就ては是非共貴君にお話し申さねばならぬ用あれば(せめての思ひやりに)今夜敵の目を掠めて(今宵ひそかに)拙宅迄御光来願ひ度(御忍び下されたく)御話申上けた上、今後の打合せも仕て(つもる話もいろいろこれあり)御別れに一杯呑みませう(打ち解けてたのしみたく)急ぎの用故明後日は是非とも出立するが(心ばかりはせき候へども)お待ち申して居る(涙に筆も廻りかねて)先は御案内迄(をしくもあらあらざっと申送候かしこ)、といふやうなもので、之れを始めは、お良も知らないものですから、或時袂から拾ひ出して、大焼きに焼いた所が、訳が知れて返って羞ぢたそうです。

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