続「反魂香」(第二回) 明治32年11月15日発行
寺田屋騒動

今更寺田屋騒動をかつぎ出したとて、諸君は既に幾多の書籍雑誌等で御承知ですから、無駄なやうではありますが、しかし他の書にあるのは唯大躰を記したばかりですから僕は之を詳しく書かうと思ひまして、さてこそ引摺出した次第です。
坂本龍馬、三好真三、新宮次郎、池倉太、の四人が寺田屋へ泊込むだ事を、長吉が睨むて置きましたが、しかし其晩直に出立したものやら滞在するものやら、そこは分らないものですから、わざと寺田屋へ来て様子を探って見ると、四人は急には出立し無いやうす。其上に可笑しく自分を引留めて、何時に無い芸者なぞ呼び寄せ、頼みもしない酒肴を取り寄せてちやほやと優待す処を見ると、此奴俺の廻し者といふ事を知って居るな、こりあぐづぐずして居て取り逃しては大変と、長吉とても馬鹿ではありませぬから、早くも考へて、大坂へ行くと偽り、直に密告しましたが、此方では油断はし無いのですけれど、まさか今日すぐ押寄せては来まいと思つたので、いくらか安心して、当夜(騒動のありし夜)は四人が六畳の一間に集って酒宴を開いて居りました、お春(お良はお春と偽名して居たり)は下の張場の隣座敷で龍馬の綿入れを縫つて居ますと一人の女中が湯が開いたと報知に来たものですから、ではー風呂這入りませうと、縫ひかけて傍に置いたまま、湯に入つて暖まって居りました、其時は今で云へぱ四時頃で此夜もいそがしいものですからー同は徹夜をして居たのです、お登勢は添乳をしながら自分の部屋でうとうととして居る、大勢の女中は少しひまになったので大抵女中部屋で眠るもあれば話をして居るものもある、家内は静かに時々二階で話声が聞える位ゐで、ひつそりとして居るものですから、お良はゆるゆると身躰を洗って居りますと、突然閃りと槍の穂先が光ったのでハット思って顔を上げますと、自分の肩先きへ槍を突きつけた黒装束の大の男が、静かにしろ声を立てると突き殺すぞ、やいお春貴様は坂本等の居る部屋を知って居るだらう、隠すと突殺すぞ、さあ案内しろと、怒鳴り付けました、見ると真黒な奴が凡そ十四五人も、槍刀を持つて立って居るものですから、流石のお良もギヨツトしましたが、根が大胆な女ですから、わざと平気で、貴郎こそ静かになさいよ、そんな大きな声を出して、若し坂本に知れて御覧なさい、用心をするじやありませんか、と悠々と衣服をつけて、あのねえ妾が案内をしても宜いのですけれど若し亦後でお神さん(お登勢を云ふ)に叱られると不可ませむから、座敷だけ教へてあげませう、表の階子を上つて突当ると左へ三間越して四ツ目の左側の六畳に四人共居ますから、静かにして居らつしやいと、嘘を教へたとも知らず曲者は、いや有難う、それ各々と合図をして、バラバラと、馳せ行きました、お良は今はー所懸命彼奴等が行かぬ其内に早く知らせやうと、帯引き締むる間も遅しと、兼て造へて置いた秘密の階子から、二階へ飛び上るが早いか、四人の居る居間へ転げ込むで、ただ大変でムいます、今夜来ました、いえ今下へと云はせも果てずさてはと四人は合点して、立上るや否や利物を執つて身構へをして居ます、龍馬は木戸から貰ひ受けた短銃、三好は手槍、二人は刀を振りかぶって、斬つて斬つて斬り捲らむづ勢ひ、お良はフト気が付いて、行燈に衣服を手早くかぶせ、明るい方を向ふへむけて、自分は襖の蔭に隠れて居りました、すると果して外の座敷ヘどやどやと暴れ込むだ様ですが、やがて二の階子を登って来るやうすすはや来たかとお良は逃げもせず眤と見て居ますと、真先に登りきた一人の男が、此方は暗いものですから、四方をきよろきよろ見廻して居る奴を、一発ズドント打ち放つと、あツと叫むで後へ撞と倒れる、二番目に登って来た奴が吃驚してハット後へ退る途端、三番目の奴に突当ると、此奴も不意を喰って二人共転び落ちると、登り掛けた奴等は将基倒しに、折り重つてどかどかと総崩れ、中には呑気な奴もあってげらげらと笑ひ出す、お良も可笑しく、腹を抱へながら見て居ますと、亦もや盛り返して来て、白刃を押し並べ、大事を執つて急には進みませむ、龍馬は三発迄打ち放して、それ今の内だ逃げ給へと、目で知らせて、段々と後へ下るので、敵もじりじりつめ寄せます、すると下できやツと女の悲鳴する声が聞えたので、敵も味方も吃驚して居る隙を窺ひ、龍馬はそれツト云ふが早いか、飛鳥の如くに身を躍らして、窓から屋根へ飛び上りますと三人も続いて跡を慕ふ、それ屋根へ上った、油断すな、飛道具を持つて居るぞと訓め合つて、同じく屋根へ進むで来る奴を、或は突き落し、斬倒し、蹴散らし薙伏せて四人は、屋根伝ひに首尾能く逃げ失せた様子に、お良もほつと太息を吐いて、胸撫で下して居りますとお春を逃すな召補れと云ふ声がしますので、ハット耳を立てて様子を窺ふと、彼奴は坂本の同類に違ひ無い、坂本を逃したは残念だが、せめて彼奴でも縛り上げろと、ロ々に罵り騒ぐので、こりあ斯うしては居られないと、お良は着のみ着の侭で、元の階子から下へ降りて、口を開けやうとすると、垣根の傍に一人の大男が立って居て、お良の姿を見るが否や、物をも言はず抱き付きましたから、あれツと振り放して戸を蹴破り逃げむとする帯際を取って、ぐいと後へ引き戻す、お良も必死の力を篭めて、畜生ツと、男に武者振りついて、思ひ切り耳へ噛みつきますと、流石に痛たかつたと見えてアツト身を引くを幸ひに、夢中で表へ飛び出して見ますと、追々遅れ馳せに、多人数の来るやうですから見付けられては大変と、後をも見ずに、薩摩屋敷へ逃げ込みました。
(右は恰も小説のやうなれど、お良の直話を筆記したるなれば、一寸断り置く)


霧島山

つまらない事ですが、お良が霧島山へ登つて逆鋒を抜いたのを、帰って龍馬に話をするとひどく叱られて、女の癖に突飛な事はつつしみなさい、と、たしなめられて流石のお良も、後悔して以後は力業をしなかったと、他書に書いてありますが、実は龍馬もー所に山へ登って、面白半分手伝つて抜いたのです。


高松太郎の不徳

お良が国を飛び出して東京へ辿りつき、西郷に面会して、身の振方を頼みましたが、折りあしく国へ帰る矢先きであるから、再び出京した時に、屹度御世話をしませうと、云はれて少しは望みを失ひましたが、或日高松の門前を通りましたので、一寸立寄らうと案内を乞ひますと、妻のお留が出てきて、お良を一目見ると、面を膨らしながら、何の用で御来臨なさったと、上へあがれとも言はず、剣もほろろの挨拶に、お良も内心不平を抱きながら、何うか坂本さん(高松は龍馬の甥にて今は龍馬の跡をつぎ坂本順と名乗り居しなり、後に小野順助と改名す)に逢はして下さいと云ひますと、奥から高松が出て来まして、お良さん、お前さんは最早我々坂本家に関係の無い人ぢやありませんか、何御用かは知らないが、何うかお帰りなさって下さい、此後尋ねて来ても逢ひませむぞと、不人情極まる言葉にお良も呆れ果てて、ええ能うムいます、お前さんのやうな、人で無しとは最早ロも利きませぬ、顔も合しませぬ、左様ならと言ひ捨てて、帰って来たそうですが、彼の時ほど口惜しかった事はなかったと、何時も僕に話して居ます。


心細き時

お良は随分勝気な女ですが、何が一番心細かつたかと聞きましたら、西郷に別れて、霞が関を出た時が一番心細かつたと言ひました、何が今では家も無し金は有るとは云へたったニ十円、頼る人もなければ、これと思ふ親切な人もなし、親や妹弟は引取つて養はなければならず、此先き何うしやうかと思ひ出すと、悲しくなって、人通りの少ない町へ来ると、木蔭へ忍むで、幾度か袖を絞つたそうです、が助ける神もあればと、気を励まして高輪迄来ますと、ひよつくり、橋本久太夫(海援隊の一人)に蓬ひましたが、まあまあ当分私の家へ来て居なさいと、親切に世話して呉れて、女房ともども何くれと無く、面倒を見て呉れますので、お良は一息つきました、嗚呼地獄で仏とは此事でせうと先日も笑ひながら話しました。


おことはり

お良は内部の事は詳しいのですが、外部はあまり詳しくないので、残念ながら従って僕も書く事は出来ませむ、続反魂香は、多くお良の事跡に関して居りますが、中にはお良の父、亦はお登勢に関する事実もあります、現在の人の事跡も、故人の事跡も、ごちや交ぜにして、書き記しますから、念の為め、一寸おことはり申して置きます。


正誤

前号の『続反魂香』に近藤長次が京都四条河原で切腹したやうに書きましたが、彼は僕の聞誤りで、実は長崎の、小曽根の奥座敷で切つたのです、鳥渡正誤。

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