あばた顔の誕生
嘉永元年(1848)9歳の時、晋作は天然痘を煩っています。
発熱したのが12月6日。高杉家嫡男の「一大事」!
小忠太パパ、蘭学医の青木周弼・研蔵兄弟へ往診を頼んでいます。
(この青木家と背中合わせに住んでいたのが、桂小五郎の実父、和田昌景。)
青木周弼、研蔵兄弟が医学を学んだのは、医学所頭取の能美洞庵の父友庵からで、ついで長崎に遊学してオランダの医師シーボルトに師事した名医。
それでも不安だったとみえ、小忠太は、能美洞庵にも往診を頼んでいます。

『高杉家にとってかけがえのない一粒だねの命を必死で守ったのは、昼夜つききりで看病した祖母だった。「容易ならざる御苦労に、持病にさわりはせぬかと心配したが、気が張っていて大へん手ぎわよろしく、私どもも大いにしあわせた」と小忠太が感激しているほどである。』
( 冨成博 『高杉晋作』)

ここに、「あばた顔」の晋作誕生! (^^ゞ



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