あずき餅の青びょうたん
晋作の少年時代の「あだな」である。
龍馬の「鼻たれ、泣き虫、夜ばれたれ」よりましか。(^^ゞ
「あずき餅」は天然痘、「青びょうたん」は虚弱体質が原因。
「身体の欠点」を言われていただけに、晋作には「こたえた」事でしょう。
現代で在れば、「いじめ」です。

『子どものころの晋作は、とても将釆大活躍する武士になるとは思えないほど弱々しい身体つきだった。父の小忠太は、高杉家のあと取り息子であるそんな晋作のことが気になってしかたがないのだ。
「あれは身体が細い、ちょっとつめたい風にあたると、すぐに風邪をひいてしまう」と、いつも心配そうにつぶやいていた。
嘉永元年(1848)十二月六日、十歳の晋作は、朝からどことなく元気がなかった。夕方ごろになって、からだが熱いといって泣き出した。母の道が、晋作の額に手をあててみると、ひどい熱である。天然痘にかかったのだ。
翌る日、晋作の容体はますます悪くなった。高熱を出すから、抵抗力の少ない子どもは、助かる見込みがうすいのである。「晋作、晋作!」
両親が大声で叫んでも、まるで反応を示さない。日ごろ、身体の弱い子どもだから、もう駄目かとあきらめかけていた。
「はしかは命定め、疱瘡はきりょう定め」といわれた。天然痘にかかった者は、命が助かったとしても、顔にひどいアバタが残る。晋作も例外ではなかった。』
(古川薫『維新の烈風』)

これ以後、ついた綽名が「あずき餅、あずき餅の青びょうたん」。
いつもからかう悪童どもをやっつけてやりたいのだが、そこは、虚弱体質のうえ、大病を患った後、立ちむかっていっても、すぐに負かされてしまう。(>_<)

そこで、「丈夫な身体をつくるために、毎日剣術の積古をしよう」と思い立ち、「剣」に没頭する。
喧嘩に強く成る為に「格闘技」を習い始めるのは何時の時代も同じ様です。

『父の小忠太に少年用の木剣を買ってほしいと頼んだ。朝早くから晋作の素振りが始まった。すぐにあきてしまうだろうと家族の者は思っていたが、一カ月たち、三カ月がすぎ、やがて半年近くもそれがつづくので、こんどは心配になってきた。「むりをしてはいけない」小忠太が注意しても、晋作はやめようとしないのだ。高杉家では、身体の弱い晋作が、かえって健康を害してしまうのではないかと、はらはらしながら、見守るようになった。病気をした一人息子をだいじにだいじに育てている両親は、晋作のいうことはなんでもきいてやる。だから晋作は、かなりわがままだ。しかし、意志の強い少年で、言い出したらきかないという性格もあった。』
(古川薫『維新の烈風』)



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