





(周布政之助あて安政6年11月26日)
松陰の訃報を聞き藩の執政周布政之助に宛てて決意を披露したモノ。
一筆呈下奉り候。寒気相い募り候え共、先ず以て御両殿様、益御機嫌克く御座遊ばされ、
恐悦至極と存じ奉り候。
且つ亦尊公様、弥御清栄成されられ、御精勤国家の為めに是れ悦び候。
私今十六日夜帰萩仕り候間、惶れながら御安意下さるべく候様願い上げ奉り候。
承り候所、我が師松陰の首、遂に幕吏の手にかけ候の由、
防長の耻辱、口外仕り候も汗顔の至りに御座候。
実に私共も師弟の交りを結び候程の事故、仇を報い候らはで安心仕らず候。
然る所、有父有君の吾身、吾身の如くして我身にあらず候故、
自然致し方御座無く、唯日夜我師の影を慕いて、激歎仕るのみに御座候。
是れよりは屈して益盛の語を学び、朝に撃剣、夕べに読書、赤心を錬磨し、
筋骨を堅固にし、父母に孝を尽し、君に忠を奉り候えば、
乃ち我師の仇を討ち候本領にも相い成り候らはん乎と愚案仕り居り候。
美を以て、松陰・口羽両人遠行し、萩中に共謀者無く、只々知己玄端と相い対し、
豪談仕るべく候而己に御座候。
何卒大兄御帰萩の上は、僕頑愚の所を御引き立て、御議論下され候様願い上げ奉り候。
明廿八日は、吾師初命日故、松下塾の玄端と相い会い、
吾師の文章なりとも読み候らはんと約し候位の事に御座候。
御地西洋流、何率取り舎ての所を愚者之御説き付け成られ候らはでは、
戦わずして夷に成り候様に立ち到り候。
此節は萩中西洋流を学ぶ人、頗る此の勢い有り。
此節は、萩に在る近進の御役人方、酒色に酖り候て色見え申し候。
是れでは中々下の者は禁を破り候をも叱られ申さず候。
御帰萩の上は、御一論を国家の為に是れ祈る。
満腔変らず、中々筆紙を尽し難き候故、先は此の如く申し候。
弥々申疎に候え共、厳寒の節は御持病別して御要心専一の事に候。恐惶謹言。
十一月廿六日 晋作 春風
二陳、幾回も御持病御要心、国象の為め是れ祈る。
前文に申し上げ候事、固より大兄も気付きの事候え共、
書生直朴、大不平の溢れ候まま言上仕り候。御憐恕願い奉り候。
此の如く事を言ふは、気量の小さいのか、或は賢こがりかと心に責め候え共、
遂に已み難く候。拝具。
政之肋様 足下に呈す
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