捫蝨処草稿
捫蝨処草稿

捫蝨処草稿

元治元年(1864)から慶応2年(1866)までに作った「放囚集」「潜伏集」「雲脚集」「捫蝨集」という四部作を一冊にまとめたモノ。
計百七篇におよぶ漢詩が収められている。

「放囚集」より
憑命馬関訪或人家

独悲死別与生離
人世浮沈不可期
一椀晩餐一杯酒
憑君深意慰吾思

命に憑り馬関に或る人の家を訪う

独り悲しむ死別と生離とに
人世の浮沈期すべからず
一椀の晩餐一杯の酒
君に憑って深意吾が思いを慰む

四カ国連合艦隊との講和の使者を命じられ、下関に赴いた時詠んだモノ。

題焦心録後

内憂外患迫吾州
正是危急存亡秋
唯為邦君為邦国
降弾名姓又何愁

焦心録後に題す

内憂外患吾州に迫る
正に是れ危急存亡の秋
唯邦君の為邦国の為
降弾名姓又何ぞ愁えん

晋作生誕地には、改作詩を刻んだ碑がある。

小郡駅訪佯狂井上聞多

慕君百里到鴻城
山翠水煙依旧新
別有心頭不平事
欲憑知己吐微誠

小郡駅に佯狂井上聞多を訪う

君を慕い百里鴻城に到る
山翠水煙旧に依って新し
別に心頭不平の事有り
知己に憑りて微誠を吐かんと欲す

井上聞多を訪ねた際詠んだモノ。

十月二十三日夜、
訪楢崎節菴、
次主人韻

独立独行取禍深
已知国事到方今
煮茶酌酒囲碁去
即是従容即死心

十月二十三日夜、
楢崎節菴を訪い、
主人の韻に次す

独立独行禍を取ること深し
已に知る国事方今に至るを
茶を煮酒を酌み囲碁をして去る
即ち是れ従容として死に即すの心

楢崎弥八郎を訪ね、萩城下を脱出するべく説いた。
その時詠んだモノ。
楢崎はその後、俗論派の為に捕縛され野山獄で処刑。

二十五日夜、
 鴻城訪井上聞多、
  次主人韻

心胆未灰国欲灰
何人払尽満城塵
変姿呑灰吾生事
要護防長土一杯

二十五日夜、
鴻城に井上聞多を訪うて、
主人の韻に次す

心胆未だ灰せず国灰せんと欲す
何人か払い尽す満城の塵
姿を変え灰を呑むは吾が生の事
防長の土一杯を護らんと要す

湯田で療養中の井上聞多を見舞った時詠んだモノ。


「潜伏集」より
十一月朔日、
至赤間関、
潜居白石氏家

脱来狼虎穴
潜伏宿君家
莫奈二州裏
人心乱似麻

十一月朔日、
赤間関に至り、
白石氏の家に潜居す

狼虎の穴を脱し来たり
潜伏して君の家に宿す
奈んともする莫し二州の裏
人心乱れて麻に似たるを

白石正一郎の屋敷にて潜伏中に詠んだモノ。

船中次野唯人韻

追君千里独陪隨
正是微躯危急時
蠖屈龍伸丈夫志
作奴為僕又何差

船中野唯人の韻に次す

君を追うて千里独り陪隨す
正に是れ微躯危急の時
蠖屈龍伸丈夫の志
奴と作り僕と為る又何ぞ差わず

筑前藩士中村円太(野唯人)、大庭伝七と共に筑前へ亡命した時に詠んだモノ。

筑前淹留中偶成

捨親去国向天涯
必竟斯心莫世知
自古人間蓋棺定
豈将口舌防嘲譏

筑前淹留中偶成

親を捨て国を去って天涯に向かう
必竟斯の心世知る莫し
古より人間棺を蓋うて定まる
豈口舌を将て嘲譏を防ぐ

筑前に亡命した時に詠んだモノ。

六日、田代駅、
寄肥前閑叟公

妖霧起雲雨暗濛
路頭楊柳舞東風
政如猛虎秦民怨
今日何人定漢中

六日、田代駅、
肥前閑叟公に寄す

妖霧雲起こって雨暗濛なり
路頭の楊柳東風舞う
政は猛虎の如く秦民怨む
今日何人か漢中を定めん

対馬藩家老平田大江と面談。
頼みとしていた対馬藩の尊攘派が劣勢であると聞き、連合策を断念する。
その時詠んだモノ

帰馬関有此作

売国囚君無不至
忠臣死義是斯辰
天祥高節成功略
欲学二人作一人

馬関に帰りて此作有り

国を売り君を囚えて至らざる無し
忠臣義に死す是れ斯の辰
天祥の高節成功の略
二人を学んで一人と作さんと欲す

下関に戻った時詠んだモノ。
日和山公園にこの詩を刻んだ碑がある。


「雲脚集」より
題雲脚集

脱却雙刀去
宜超正俗群
雲奴与雲衲
游跡似浮雲

雲脚集に題す

雙刀を脱却し去り
宜しく超える正俗の群
雲奴と雲衲
游跡浮雲に似たり

下関で四国亡命に出発する際、刻んだモノ。

室積夜泊、夢家翁

分明夜半見家翁
耐喜温顔与旧同
一夢醒来心未覚
尚疑人影在舟中

室積夜泊、家翁を夢む

分明に夜半家翁を見る
喜ぶに耐えたり温顔旧と同じきを
一夢醒め来りて心未だ覚めず
尚疑う人影舟中に在るを

四国に向かう船中で、父の夢を見た際、詠んだモノ。

回先生詩曰、
 振猛尚余十八回

真箇関西志士魁
英風早動我邦来
霊魂尚可多遺憾
猛気更余十七回

回先生の詩に曰く、
猛を振るうて尚余す十八回

真箇関西志士の魁
英風早動し我邦に来る、
霊魂尚遺憾すべし多きを
猛気更に余す十七回

四国琴平に潜伏中、詠んだモノ。
吉田松陰への追悼詩。
十七回は十八回の間違い?

先師嘗称久坂義助、
 曰少年第一流

埋骨皇城骨更香
当時苦節震吾洲
知君卓立同盟裏
不負少年第一流

先師嘗て久坂義助を称して、
少年第一流と曰う

骨を皇城に埋ずめて骨更に香る
当時苦節吾洲を震わす
知る君が同盟の裏に卓立し
少年第一流に負かざりしを

四国琴平に潜伏中、詠んだモノ。
久坂玄瑞への追悼詩。

諺曰浮世三分五厘

従神武起二千年
億万心魂散作煙
愚者英雄倶白骨
真斯浮世直三銭

諺に曰く浮世三分五厘と

神武起ってより二千年
億万の心魂散じて煙と作る
愚者英雄倶に白骨
真に斯浮世は直三銭

亡命先から下関に帰った時詠んだモノ。


「捫蝨集」より
題捫蝨処

三間矮屋小林園
隠逸聊当避世塵
此是東行捫蝨処
不許貴客叩松門

捫蝨処に題す

三間の矮屋小林園
隠逸聊か当に世塵を避く
此は是東行の捫蝨処
貴客の松門を叩くを許さず

世捨て人として生活を送りたい、という願望を詠んだモノ。

近日世外春畝両兄
隠逸同居
而世兄愛松樹
春兄愛梅花
因咏松梅贈之

勁節貞容占吉祥
堅心玉色凌風霜
松梅争徳満庭裏
好是謫人安楽場

近日世外春畝両兄
隠逸して同居す
而して世兄は松樹を愛し
春兄は梅花を愛す
よって松梅を咏しこれを贈る

勁節貞容吉祥を占む
堅心玉色風霜を凌ぐ
松梅徳を争う満庭の裏
好是謫人の安楽場


世外は井上聞多、春畝は伊藤俊輔。
捨て人としての心境を詠んだモノ。

次悠々道人韻

詩酒悠々宣送日
男児成事豈無時
縦令市井呼侠客
一片素心未敢差

悠々道人の韻に次す

詩酒悠々宣しく日を送るべし
男児事を成す豈時なからんや
縦令市井の侠客と呼ばれても
一片の素心未だ敢て差わず

悠々(奇兵隊軍監、福田侠平)の詩に続けて詠んだモノ

桜山七絶
時移予家于桜山下

落花斜日恨無窮
自愧残骸泣晩風
休怪移家華表上
暮朝欲拂廟前紅

桜山七絶
時に予家于桜山の下に移す

花は落ち日は斜き恨窮り無し
自ら愧ず残骸晩風に泣くを
怪しむを休めよ家を華表の上に移すを
暮朝廟前の紅を拂わんと欲す

現在の桜山神社で墓守りとして余生を送りたいという願望を詠んだモノ。

数日来鴬鳴檐前不去、
 賦之与

一朝檐角破残夢
二朝窓前亦弄吟
三朝四朝又朝々
日々懇来慰病痛
君於方非有旧親
又非寸恩在我身
君何於我誤看識
吾素人間不容人
故人責吾以詭智
同族目我以放恣
同族故人尚不容
而君容吾遂何意
君勿去老梅之枝
君可憩荒溪之畔
寒香淡月我所欲
為君執鞭了生涯

数日来鴬檐前に鳴いて去らず、
これを賦して与える

一朝檐角残夢を破る
二朝窓前に亦弄吟す
三朝四朝又朝々
日々懇来し病痛を慰さむ
君は方に於いて旧親あるに非ず
又寸恩我が身に在すに非ず
君何ぞ我に於いて看識を誤る
吾素人間人に容れられず
故人吾を責むるみ詭智を以てす
同族我を目するに放恣を以てす
同族故人尚容れず
而して君吾を容るる遂に何の意ぞ
君去る勿れ老梅の枝
君憩うへもし荒溪の畔
寒香淡月は我が欲する所
君が為に鞭を執って生涯を了らん

注)畔→さんずいへん+眉
  ほとりの意

高杉最期の詩作と言われるモノ。
鴬→「おうの」の事?


|| ||