井上哲次郎『高杉東行を億ふ』
大正五年

(高杉は)維新前の騒々しき世の中に生まれ、
その渦中に在りて活動したのであるから、
ゆっくりと且つ専念に学問をする余暇はなかったのであるが、
しかしなかなか聰明なるところがあったように思われる。
しかして大いに王陽明を尊信しておったことが彼の詩によって明らかである

東行はかつて長崎に赴きたる時、
耶蘇教の書を読み、慨然として歎じていえるよう、
『その言すこぶる王陽明に似たり。
しかれども国家の害、いずくんぞこれに過ぎるものあらんや! ・・・・』と。
なるほど東行の言うたごとく、基督教と陽明学の間には著しい類似点がある。
第四の福音書ヨハネ伝に於ては神を内在的に観ている、
その内在的に観たところの神は良知と異なることはない、
良知はやはり各個人の胸中に在る神である。
……もし東行が永く生存して学問の方に力を致したならば、
また非常なる見識を立てたであろうかと想像される



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