八百政邸放火事件
ある日のこと、八百政のせがれ孝助という悪童が晋作に絡んだ。
「よう、あずき餅」といきなり悪態をついた。それに対し、晋作は「無礼者」と言ったが、別に怒りをあらわしているわけでもなく、無視した。ところが、その悪童、なおも言いつのる。「へへえ、無礼者か、あずき餅の青びょうたん」

晋作はここで「切れた」(^^ゞ

取っ組みあいが始まる。(カーン)←ゴング 
体力にすぐれた孝肋が優勢で、晋作ピンチ!!

そこへ、商人が5、6人通りかかった。すわ、「高杉の坊ちゃんの一大事」。
割りこんで、二人を引き離した。

『大組士の子供に対して、八百屋のせがれが、あだ名を呼んでからかったばかりか、組み伏せて殴ったりもした。士農工商という封建社会の身分制でも最下位におかれている商人の子が、武士の跡取り息子を侮辱したのだ。とてもただでは済むまい。はらはらしていると、立ち上がった晋作は、そばにいる人たちに、意外なことを言った。「お手前ら、このことは、父には告げないでおいてくれ」静かに両刀を腰に差し、竹刀をかつぐと、もと来たほうに引き返して行く、家に帰るつもりらしい。』
(古川薫『わが風雲の詩』)

「からだがお弱いから、気の毒じゃな」
「八百屋の孝助も困ったやつだが、晋作さんも相手が無腰と知って、刀を使わず立ちむかったのは、立派ではありませんかのう」
「いや、刀を抜くのが、怖かったのじゃろうよ」
「父に告げるなとはどういうことじゃろ」
「恥ずかしゅうて、家の者に知られとうないのかもしれん」

などと、野次馬たちが井戸端会議をしているところへ、晋作再登場。(^^)

なぜか、紙くずを両手に抱え、「八百政邸」へ、一目散。

『晋作は商店の並ぶ町筋をゆっくり歩いて、表具屋の角から右に曲がった。二軒目の八百屋の店先には、だれもいない。黙って中に入って行くと、帳場横の畳の上に、紙くずをほぐすようにして広げた。それから、用意してきた火打ち石をたたいて、先端に硫黄を塗った付け木におこした火を、手早く紙くずに近づける。メラメラと炎が揺れ、薄暗い店内を赤く照らしたと思う間もなく、たちまち障子に燃え移った。それを見届けてから、晋作は店を出て道路に立ち、痩せた肩をそびやかして、火が広がるのをじっとながめている。
奥にいた八百政が、あわてて飛び出してきた。「火事や!」近所の人も駆けつけ、消しとめたのでボヤで済んだが、これからが大騒ぎとなる。「だれが火をつけた」「ひどいことをしやがる」甲高く話しあっている人々にむかって、晋作が平然として言った。「火をつけたのは、この私である」』
(古川薫『わが風雲の詩』)

収まらないのは「八百屋の親父」高杉家に怒鳴り込む。(^^ゞ
応対した小忠太パパ、晋作の事情聴取。「ママ、ボンを呼んできなさい。」

『「やって参りましたか。大声を出している奴が孝肋の親父ですね」つぶやきながら、玄関に出て行く。「晋作、なぜ八百政の家に火をつけた。申してみよ」小忠太が、するどい声をかけた。「そこにおる八百政の子の孝肋は、いわれのない無礼を、これまでもたびたびはたらきました。わたしにばかりではなく、腕力をかさにきて町じゅうの弱い子供をいじめる嫌われものです」
「なんだと」八百政が、口をとがらせた。それを無視して晋作は言葉をつづける。「それを承知しながら、放任しておる親も悪いとかねてから思っておりましたので、懲らしめのため火をつけてやりました」「しかし、火つけは大罪じゃ。覚悟をしてのことであろうな」「はい、わたしも元服を終わった身、これは父上には関わりのないことです。八百政親子が藩に訴え出て、私が悪いとのお裁きなら、切腹でも磔でも、それは覚悟しております」
「・・・・」小忠太は思わず溜め息をついてしまった。八百政は呆然と立ちすくみ、絶句している。考え方はやはり子供じみたところもあるが、整然と述べたてる晋作を、横目にながめながら、いつの間にこんな子供になりおったのだ。小忠太は妙に感心したり、おどろいたりしている。「お聞きの通りだ。迷惑をかけた分は、当家で弁償する。また晋作は拙者が成敗いたす。だが、喧嘩両成敗と申すから、お手前の家でも、孝助とやら申す子息を成敗なさるがよい。それで決着だな」「いえいえ、それには及びません」急に、八百政の腰が低くなった。』  (古川薫『わが風雲の詩』)

これを見ていたジイ様。晋作に何と言ったと思います。
事も在ろうに「よくやったぞ」^^;
晋作の頑固な性質や、烈しい気性は、この祖父ゆずりとか。
(古川薫『わが風雲の詩』)では、このジイ様が、不甲斐ない孫を見て、特別につくらせた細い木刀を与え、剣術をさせた、としています。
さらに、藩の剣術師範である内藤作兵衛とジイ様が知り合いで「孫を鍛えてくれ」と頼み、その時から内藤道場に入門したとされています。

この「放火事件」、後の「品川英公使館焼打事件」とダブって考えると何となく面白い。晋作には「放火癖」が在るのかも知れません。
(^^ゞ

昨雨洗炎涼味新/昨雨、炎を洗って、涼味新たに今朝秋立葉声頻/今朝、秋立って、葉声しきりなり始看林景堪詩意/始めて看る林景の詩意に堪ゆるを残月依々影半輪/残月依々として影半輪晋作、17才時の作品。

その頃のお話。晋作より三つばかり年上の有備館の先輩に馬田多一郎という、
五百石取りの武士の子がいた。此のモノも「いじめっこ」^^;である。
ひょんな事から「果たし合い」をするはめに・・・無制限3本勝負。カーン

『「いざ」互いに気合を発して立ち上がったが、長身の多一郎にくらべると、晋作の背丈はその肩ぐらいしかない。多一郎は得意の大上段に構え、いきなり進み出て、力まかせに振り下ろしてきた。相手をなめている証拠だ。下段に構えていた晋作は、多一郎の竹刀を擦り上げなから、すっと相手の左脇に飛び込んで体をかわし、位置を入れ替わった。悠然と下段に構えなおす。
「おや?」という多一郎の表情が、面金の奥に見えた。息つく間もなく、打ちかかってくる多一郎の籠手を烈しく叩いて、晋作は、今度は上段に構えた。「籠手あり」伝蔵が叫ぶと、どよめきの声があがった。予想とはだいぶ様子が違う。「おりゃあ」わめくようなかけ声を出して、多一郎が踏み込んでくる。早くも焦りの色が、はっきり現れて、もはや無茶苦茶の攻撃だ。 晋作は受け身となり、払いのけたが、そのうち一本がわずかに面を打った。
触れたというほどの感じだったが、「面あり」と、伝蔵がさっと右手を上げた。作兵衛なら「軽い」と言って技をみとめないところだろう。
が、とにかくこれで切り上げの三本目を争うことになる。ニ人は間合を充分にとって、ふたたび向かい合った。多一郎は、やはり大上段に構えている。
こうして対等に打ち合ってみると、彼にはそれほどの技があるわけではなく要するに力にものを言わせ、単調に殴りかかってくるだけのことだ。
背が高いので面は打ちにくいが、籠手や胴は隙だらけである。その凄まじい一撃をかわしさえすれば、どちらかを取れると見た。晋作は青眼に構えた。
「来い!」と、多一郎がさそった。立ちむかって行けば不利だから、晋作は動かない。睨みあいがつづくうちに、苛立った多一郎が襲いかかってきたので、すかさず籠手を取る。「軽い」と、伝蔵が首を横に振った。したたか打っているのだから、見ている者の中からも遠慮がちな不満の声が出た。伝蔵は素知らぬ顔をしている。残心は示したが、これで勝負がついたと思う晋作の油断を衝かれた。体当たりしてきた多一郎に足払いをかけられて、床の上に激しく転がされた。慌てて起きなおろうとするところを、多一郎が大上段から振り下ろしてきた。それで面を打たせてやれば、多一郎の面目は立つ。
一瞬、晋作の脳裏にそのことは閃いたが、同時に「突きだな」と言った前夜の作兵衛の言葉を思い出した。晋作は、かろうじて起きなおった姿勢から片膝を立て、鋭い突きを入れた。胴をすべって、直接喉をえぐるように延びて来た晋作の竹刀の先に、多一郎は自分の体重と勢いをかけて、「げっ」という声を発したまま、そこに悶絶してしまった。「手当てをしてやれ。もう一度立ち合うつもりがあれば、日を変えて来ると馬田には伝えておけ」』
(古川薫『わが風雲の詩』)
(^^)(^^)(^^)

以後、晋作を「あずき餅」などと嘲笑する者はだれもいなくなったそうな。

これ以後の晋作は文武両道、虚弱体質も見ちがえるように生気を帯びていく。
ジイ様「大満足」

晋作の得意技は「突き」。
いつも下段に溝え、決して自分からは打って出ない。そうすると背の低い彼の面に隙ができるので、相手は大上段から襲ってくる。
その時に、必殺の「突き」!



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