高杉晋作書状(大庭 宛)
高杉晋作書状(大庭 宛)

(元治元年、大庭伝七宛書状)
その後打ち絶え御無沙汰仕り候段恐れ入り奉候、弟事もいまだ死処を得ず、
赤面の至りに御座候、御承知の通り御両殿様御身上へも迫り候次第、
臣子は死も余り有る時節に御座候、
先日長府出張の時も一言も御相談申し上げざる儀、
深き思慮これあり候事に御座候あいだ、
悪しからず御含みおき下さるべきよう頼み奉り候、
弟事も毛利氏恩古の士、
今日に至り土民同様の心底は寸分これなく候あいだ、
その段かねて御存じの儀と心知奉り候、偸生家の讒言にて府公にも、
弟等の事、色々と思し召され候由残念至極に御座候、
しかしながら人生の事けだし棺定、今日言語を以て弁解仕り候も愚なる事に御座候なり、
洞春公卸正統の府公の事ゆえ、
たとい追討仰せつけられ候とも露ほども御恨みは申し上げず候、
なる事ならば、弟等の心事生前の中府公へ明白相成れかしと祈るところに御座候、
それゆえ追々歎願書も差出し候覚悟に御座候あいだ、
野々村諸君へも悪しからず仰せ入れ候よう頼み奉り候、
我等府城を離れも必○(境→土無)府公を深く思い奉り候ての事に御座候ところ、
裏腹に相成り讒言を請じ候段、千万遺憾の至りに御座候、
とても死後ならでは不明白と落着仕り候心事御推察願うところに御座候、
弟もし馬関にて死する事を得候わぱ招魂場へ御祭り下さるよう願い奉り候、
まずは右頓首、
弟も私情なき者にはこれなく候えども、国家の大難胸中火の如く、小事を忘れ候あいだ、
わざと御推察頼み奉り候、筑前以来お世話に相成り且つ帰関の後寄宿をも願い、
知己と相誓い候て、一言も申し上げず出関仕り候事も無情のようには御座候えども、
これまた有情の極みと相考え候、
御家内様にも理非知らぬ者と御譏りもこれあるべく候えども、
そのへん御弁解頼み奉り候、
なおまた筑前にて野々村より金五両拝借仕り候ところ、いまだ帰すを得ず候あいだ、
その段もよろしく御致声頼み奉り候、
御珍蔵の小屏山陽の書は陣中の一楽と盗み去り候間、さよう御承知下さるべく候、
前文に申し上げ候通り赤間関の鬼と相成り討死致すの落着に御座候あいだ、
別書の通り碑をお建て下さるよう、御面倒ながら頼み上げ候、
井上少輔、三好大夫へも、弟の心事お通し下さるよう願い奉り候、
白石翁にも御無沙汰仕り候あいだ、よろしく御致声頼み奉り候、
弟事は死しても恐れながら天満宮のごとく相成り、赤間関の鎮主と相成り候志に御座候、
入江角次郎も御地へ参りおり候由、この段御通達頼み奉り候、
死後に墓前にて芸妓御集め、三紘など御鳴らしお祭り下さるよう頼み奉り候、
別紙の時作御覧頼み奉り候、拝白、

伝 七 様         梅之助


故奇兵隊開闢総督高杉晋作、則
西海一狂生東行墓
遊撃将軍谷梅之肋也、



毛利家恩古臣高杉某嫡子也、
月 日

売国囚君至らざる無く、
生を捨て義を取るこれこのときか、
天祥高節功略成る、
学を欲する二人、一人を作る

老兄は口にては申さず候えども、御誠心の御方と存じ奉り候ゆえ、
このようなる事を申し上げ候、御他言は御無用に存じ奉り候、
もし老兄御幽囚にも相成り候わば入江角次郎へこの段仰せつけられ候よう頼み奉り候、
死して忠義の鬼となる、愉快々々、

伝 七 様 梅之助

墓前にて芸妓をお集下さるよう、そのほか祈り上げ奉り候、
又□□死の内はこの書状を他人へお示しなされ候時は知己と思わざる也、
筑前にての酔倒憶い起し候也、

大庭伝七様          谷 梅之助

拝呈

|| ||