獄中手記
獄中手記

獄中手記

獄中手記

抄録
甲子三月二十九日獄に下る。並びに国歌一首、誹歌一首。
 敢辞誅戮与囚禁 只哭讐親懐我心
 韓監鹽彭非君罪 讒人在世古如今

 今さらになにをかいわむ遅桜 故郷の風に散るぞうれしき

 先生を慕うて漸く野山獄

四月三日
 人生浮沈不敢休 孤雲流水去悠々
 囚窓回首将三歳 上海津頭維客舟
余かつて支那に遊ぶ、今を去るすでに三年、昨日の鳳翼今変じて籠中の鳥となる。
諺に曰く、人間万事塞翁の馬、真なるかな

自叙
予、下獄の初め既往を悔い、将来を思い、茫然として黙坐し、身を省み心を責む。
すでにしておもえらく我れすでに獄に下る。
死測るべからず、何ぞ身を省み、心を責むるを用いん。ただ、槁木死灰死を待つのみ。
一日、自ら悟りて日く、朝に道を聞かば夕べに死すとも可なりと。
これ、聖賢の道、何ぞ區々たる禪僧の所為を傚わん。
よって書を獄吏に借り、かつ読み、かつ感ず。或いは涕涙衣を沾し、或いは慷慨腕を扼す。
感じ去り、感じ来り、窮極あるなし。乃槁木死灰に向くは人道に非ざるを知る。
しこうして朝に聞き夕べに死すは眞楽量るなしとす。
心すでに感ずれば、すなわち、口に発して声となる。
これ文、やむをえざる所以を記すなり。
 甲子四月、西海一狂生東行、野山獄北局第二舎南窓の下に題す。

五月二十日
この際、杉伯教の需めに応じ、先師二十一回猛士の文稿を閲校す。
随って誌し、随って録す。一日の間、謄写その半ばを居る

六月七日 幽室記
余下獄このかた、一日として読まざるなし、或いは黙読沈思し、
或いは高吟長嘯し、独立勉強し、傍に人なきが若し、
一日同囚予を嘲っていわく、足下の罪、死生未だ決らずして読書勉強することかくのごとし、
我輩その意を解せず、請うその説を聞かんと、
予いわく、某少にして無頼、撃剣を好み、一箇の武人たらんことを期す、
年はじめて十九、先師二十一回猛士に謁し、始め読書して道を行なうの理を聞いて、先師に親灸す、
わずかに一周星、去って東国に游ぶ時に、わが藩に俗論大いに行なわれ、
ついに先師をして再び東国に囚えしむ、
それがしまた江戸にありて、師のために獄中に往来す、師某に言いていわく、
汝妻を蓄え吏となり、父母の心に任せて可也、もし君側に就官し得れば、
すなわち正論抗議し、惟れ道惟れ行なえ、しかればすなわち必ずやへん黜恬退の人たらん、
しかる後読書して心を錬れ、十年の後大いになすべきは必ず可ならん、
今にしてこれを思えば、言なおあるがごとし。
師すでに遠く去る、今を隔つるまさに十歳ならんとす、
しかして余の今の所行、先師の言と真に符節を合するがごとし。
よっておもう、余今日の幽囚、先師のいわゆるへん黜恬退の時、
某あに勉強読書せざるべけんや、予の言未だおわらず、
しこうして同囚笑っていわく、足下は師言を守るを得るすなわち可なり、
しかるに足下もし斬首獄に死すればすなわち今日の勉強はすなわち昨夜の一夢なり、
何ぞ心を高妙に置かざる、老壮の域に游ぱざる哉、
余いわく生者何をか死と曰う、
同囚その説を極論せんと欲す、
余笑って答えず、すなわち先師の言を壁に書し、もってみずから警とす。

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