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討奸檄
討奸檄

討奸檄

慶応元年1月、諸隊が大田絵堂の戦に際し人々に配布した木版の印刷物。
下関で挙兵した時に掲げた高札文とほぼ同じ内容。


御両殿様
 御先祖 洞春公御遺志を継せられ 御正義
 御遵守被遊候処奸吏とも 御趣意に相背き
 名は御恭順に託し其実ハ畏縮偸安之心より
 名義をも不顧四境の敵に媚ひほしゐままに
 関門をこぼち御屋形を破り剰へ正義の士を
 幽殺ししかのミならす敵兵を 御城下に
 誘引し恐多くも隠に種々の御難題を申立
 御両殿様の御身上に相迫り候次第  御国家の
 御耻辱は申に及はず愚夫愚婦の切歯する所
 言語同断我等世々 君恩に沐浴し奸党と
 義におひて倶に天を戴かす依て区々の誠心を以て
 洞春公尊霊を地下に慰め 御両殿様の御正義を天下萬世に輝し
 奉り御国民を安撫せしむる者也
 乙丑正月

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高杉晋作書状(周布 宛)
高杉晋作書状

高杉晋作書状

高杉晋作書状

高杉晋作書状

高杉晋作書状

高杉晋作書状

(周布政之助あて安政6年11月26日)
松陰の訃報を聞き藩の執政周布政之助に宛てて決意を披露したモノ。

一筆呈下奉り候。寒気相い募り候え共、先ず以て御両殿様、益御機嫌克く御座遊ばされ、
恐悦至極と存じ奉り候。
且つ亦尊公様、弥御清栄成されられ、御精勤国家の為めに是れ悦び候。
私今十六日夜帰萩仕り候間、惶れながら御安意下さるべく候様願い上げ奉り候。
承り候所、我が師松陰の首、遂に幕吏の手にかけ候の由、
防長の耻辱、口外仕り候も汗顔の至りに御座候。
実に私共も師弟の交りを結び候程の事故、仇を報い候らはで安心仕らず候。
然る所、有父有君の吾身、吾身の如くして我身にあらず候故、
自然致し方御座無く、唯日夜我師の影を慕いて、激歎仕るのみに御座候。
是れよりは屈して益盛の語を学び、朝に撃剣、夕べに読書、赤心を錬磨し、
筋骨を堅固にし、父母に孝を尽し、君に忠を奉り候えば、
乃ち我師の仇を討ち候本領にも相い成り候らはん乎と愚案仕り居り候。
美を以て、松陰・口羽両人遠行し、萩中に共謀者無く、只々知己玄端と相い対し、
豪談仕るべく候而己に御座候。
何卒大兄御帰萩の上は、僕頑愚の所を御引き立て、御議論下され候様願い上げ奉り候。
明廿八日は、吾師初命日故、松下塾の玄端と相い会い、
吾師の文章なりとも読み候らはんと約し候位の事に御座候。
御地西洋流、何率取り舎ての所を愚者之御説き付け成られ候らはでは、
戦わずして夷に成り候様に立ち到り候。
此節は萩中西洋流を学ぶ人、頗る此の勢い有り。
此節は、萩に在る近進の御役人方、酒色に酖り候て色見え申し候。
是れでは中々下の者は禁を破り候をも叱られ申さず候。
御帰萩の上は、御一論を国家の為に是れ祈る。
満腔変らず、中々筆紙を尽し難き候故、先は此の如く申し候。
弥々申疎に候え共、厳寒の節は御持病別して御要心専一の事に候。恐惶謹言。

十一月廿六日 晋作 春風

二陳、幾回も御持病御要心、国象の為め是れ祈る。
前文に申し上げ候事、固より大兄も気付きの事候え共、
書生直朴、大不平の溢れ候まま言上仕り候。御憐恕願い奉り候。
此の如く事を言ふは、気量の小さいのか、或は賢こがりかと心に責め候え共、
遂に已み難く候。拝具。

政之肋様          足下に呈す

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獄中手記
獄中手記

獄中手記

獄中手記

抄録
甲子三月二十九日獄に下る。並びに国歌一首、誹歌一首。
 敢辞誅戮与囚禁 只哭讐親懐我心
 韓監鹽彭非君罪 讒人在世古如今

 今さらになにをかいわむ遅桜 故郷の風に散るぞうれしき

 先生を慕うて漸く野山獄

四月三日
 人生浮沈不敢休 孤雲流水去悠々
 囚窓回首将三歳 上海津頭維客舟
余かつて支那に遊ぶ、今を去るすでに三年、昨日の鳳翼今変じて籠中の鳥となる。
諺に曰く、人間万事塞翁の馬、真なるかな

自叙
予、下獄の初め既往を悔い、将来を思い、茫然として黙坐し、身を省み心を責む。
すでにしておもえらく我れすでに獄に下る。
死測るべからず、何ぞ身を省み、心を責むるを用いん。ただ、槁木死灰死を待つのみ。
一日、自ら悟りて日く、朝に道を聞かば夕べに死すとも可なりと。
これ、聖賢の道、何ぞ區々たる禪僧の所為を傚わん。
よって書を獄吏に借り、かつ読み、かつ感ず。或いは涕涙衣を沾し、或いは慷慨腕を扼す。
感じ去り、感じ来り、窮極あるなし。乃槁木死灰に向くは人道に非ざるを知る。
しこうして朝に聞き夕べに死すは眞楽量るなしとす。
心すでに感ずれば、すなわち、口に発して声となる。
これ文、やむをえざる所以を記すなり。
 甲子四月、西海一狂生東行、野山獄北局第二舎南窓の下に題す。

五月二十日
この際、杉伯教の需めに応じ、先師二十一回猛士の文稿を閲校す。
随って誌し、随って録す。一日の間、謄写その半ばを居る

六月七日 幽室記
余下獄このかた、一日として読まざるなし、或いは黙読沈思し、
或いは高吟長嘯し、独立勉強し、傍に人なきが若し、
一日同囚予を嘲っていわく、足下の罪、死生未だ決らずして読書勉強することかくのごとし、
我輩その意を解せず、請うその説を聞かんと、
予いわく、某少にして無頼、撃剣を好み、一箇の武人たらんことを期す、
年はじめて十九、先師二十一回猛士に謁し、始め読書して道を行なうの理を聞いて、先師に親灸す、
わずかに一周星、去って東国に游ぶ時に、わが藩に俗論大いに行なわれ、
ついに先師をして再び東国に囚えしむ、
それがしまた江戸にありて、師のために獄中に往来す、師某に言いていわく、
汝妻を蓄え吏となり、父母の心に任せて可也、もし君側に就官し得れば、
すなわち正論抗議し、惟れ道惟れ行なえ、しかればすなわち必ずやへん黜恬退の人たらん、
しかる後読書して心を錬れ、十年の後大いになすべきは必ず可ならん、
今にしてこれを思えば、言なおあるがごとし。
師すでに遠く去る、今を隔つるまさに十歳ならんとす、
しかして余の今の所行、先師の言と真に符節を合するがごとし。
よっておもう、余今日の幽囚、先師のいわゆるへん黜恬退の時、
某あに勉強読書せざるべけんや、予の言未だおわらず、
しこうして同囚笑っていわく、足下は師言を守るを得るすなわち可なり、
しかるに足下もし斬首獄に死すればすなわち今日の勉強はすなわち昨夜の一夢なり、
何ぞ心を高妙に置かざる、老壮の域に游ぱざる哉、
余いわく生者何をか死と曰う、
同囚その説を極論せんと欲す、
余笑って答えず、すなわち先師の言を壁に書し、もってみずから警とす。

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高杉晋作書状(大庭 宛)
高杉晋作書状(大庭 宛)

(元治元年、大庭伝七宛書状)
その後打ち絶え御無沙汰仕り候段恐れ入り奉候、弟事もいまだ死処を得ず、
赤面の至りに御座候、御承知の通り御両殿様御身上へも迫り候次第、
臣子は死も余り有る時節に御座候、
先日長府出張の時も一言も御相談申し上げざる儀、
深き思慮これあり候事に御座候あいだ、
悪しからず御含みおき下さるべきよう頼み奉り候、
弟事も毛利氏恩古の士、
今日に至り土民同様の心底は寸分これなく候あいだ、
その段かねて御存じの儀と心知奉り候、偸生家の讒言にて府公にも、
弟等の事、色々と思し召され候由残念至極に御座候、
しかしながら人生の事けだし棺定、今日言語を以て弁解仕り候も愚なる事に御座候なり、
洞春公卸正統の府公の事ゆえ、
たとい追討仰せつけられ候とも露ほども御恨みは申し上げず候、
なる事ならば、弟等の心事生前の中府公へ明白相成れかしと祈るところに御座候、
それゆえ追々歎願書も差出し候覚悟に御座候あいだ、
野々村諸君へも悪しからず仰せ入れ候よう頼み奉り候、
我等府城を離れも必○(境→土無)府公を深く思い奉り候ての事に御座候ところ、
裏腹に相成り讒言を請じ候段、千万遺憾の至りに御座候、
とても死後ならでは不明白と落着仕り候心事御推察願うところに御座候、
弟もし馬関にて死する事を得候わぱ招魂場へ御祭り下さるよう願い奉り候、
まずは右頓首、
弟も私情なき者にはこれなく候えども、国家の大難胸中火の如く、小事を忘れ候あいだ、
わざと御推察頼み奉り候、筑前以来お世話に相成り且つ帰関の後寄宿をも願い、
知己と相誓い候て、一言も申し上げず出関仕り候事も無情のようには御座候えども、
これまた有情の極みと相考え候、
御家内様にも理非知らぬ者と御譏りもこれあるべく候えども、
そのへん御弁解頼み奉り候、
なおまた筑前にて野々村より金五両拝借仕り候ところ、いまだ帰すを得ず候あいだ、
その段もよろしく御致声頼み奉り候、
御珍蔵の小屏山陽の書は陣中の一楽と盗み去り候間、さよう御承知下さるべく候、
前文に申し上げ候通り赤間関の鬼と相成り討死致すの落着に御座候あいだ、
別書の通り碑をお建て下さるよう、御面倒ながら頼み上げ候、
井上少輔、三好大夫へも、弟の心事お通し下さるよう願い奉り候、
白石翁にも御無沙汰仕り候あいだ、よろしく御致声頼み奉り候、
弟事は死しても恐れながら天満宮のごとく相成り、赤間関の鎮主と相成り候志に御座候、
入江角次郎も御地へ参りおり候由、この段御通達頼み奉り候、
死後に墓前にて芸妓御集め、三紘など御鳴らしお祭り下さるよう頼み奉り候、
別紙の時作御覧頼み奉り候、拝白、

伝 七 様         梅之助


故奇兵隊開闢総督高杉晋作、則
西海一狂生東行墓
遊撃将軍谷梅之肋也、



毛利家恩古臣高杉某嫡子也、
月 日

売国囚君至らざる無く、
生を捨て義を取るこれこのときか、
天祥高節功略成る、
学を欲する二人、一人を作る

老兄は口にては申さず候えども、御誠心の御方と存じ奉り候ゆえ、
このようなる事を申し上げ候、御他言は御無用に存じ奉り候、
もし老兄御幽囚にも相成り候わば入江角次郎へこの段仰せつけられ候よう頼み奉り候、
死して忠義の鬼となる、愉快々々、

伝 七 様 梅之助

墓前にて芸妓をお集下さるよう、そのほか祈り上げ奉り候、
又□□死の内はこの書状を他人へお示しなされ候時は知己と思わざる也、
筑前にての酔倒憶い起し候也、

大庭伝七様          谷 梅之助

拝呈

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おうの宛書簡
おうの宛書簡

慶応2年、長崎から出した書簡。
おうの宛のモノはこの1通しか残っていない。


おうのとの
  無事
一筆申し遣し候、そな[た]事も無事にてめでたく存じまいらせ候。
われらも無事長崎に罷り居り候間、卸きづかい下されまじく候。
このたび伊藤さま御帰りに付、何も御じきに御聞き下さるべく候。
かねて申し置き候事相まもり、しんぼうかんにょう(肝要)にござ候。
人になぶられぬ事かんにょうにござ候。
たんぜん袷送り候間、せんたくをして御送り下さるべく候。
伊藤さまへ相頼みおき候間、拾両御請取下さるべく候、
われら事もしんぼういたし候間、そなたもしんぼうかんにょうござ候。
しゃしんおくり候間、御請取下さるべく候。
色々申し遣したくござ候えども、先ずおしき筆とめ、あらあらかくの如くござ候。
めでたくかしこ。
        四月五日
尚々、風を引かぬようにようじんかんにょうに存じまいらせ候。かしこ

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