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高杉晋作扇面七絶詩書
高杉晋作扇面七絶詩書

文久3年3月、10年間の暇を賜って、剃髪し『東行』と号し、4月に帰郷松本に隠棲した。
この詩はその頃知人の男児久兵君に『史書』を読むよう書き与えたモノ。


衣冠を脱却して百慮空なし
自ら耕し 自ら食す 草堂の中
天心忘れ難し人間の事
閑に史書を把って人童に課す

 久兵君に嘱す
        西海一狂生東行

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雅子宛書簡
雅子宛書簡

雅子宛書簡

雅子宛書簡

雅子宛書簡

雅子宛書簡

雅子宛書簡

元治元年、来島又兵衛など遊撃軍の京都進発論を押さえる為、藩命を無視して上京。
京都にいた桂・久坂と協議。この頃、雅子に宛てた書簡。


一筆申し進め候、先中 御父母さま御揃い御無事にいらせられめでたく存じまいらせ候。
そもじどのにもご無事にござあるべく候。めでたく存じまいらせ候。
我れらもこの節は京都へまかり越し候間、決して御気遣い下されまじく候。
出足の節は急場の事故手紙も残さず候段、我ながらあやまり申し候。
御免し下さるべく候。
いずれも遠からぬ内にまかり帰り候につき、その節委曲申し開かすべく候。
○吉富へ預け候切手事を井上おととさまへ御頼み下されたく候。
また内々のこしおき候切手は御守り袋の中にござ候間、御請け取り下され、
それを井上おととさまへ。御頼み下さるべく候。
井上へも、萩の高杉へもこの度無音仕り候間、その段仰せ越され候よう頼みまいらせ候。
山口方にてよろしく候わば当介は源之丞は不用故、御帰りなさるべく候。
馬は井上へ御傾けなさるべく候。
萩高杉御両人様を大せつに致され候が我れらを大せつに致され候も同様に候間
さよう御心がけ専要に存じまいらせ候。
我れら事も色々御気遣いもこれあるべく候えども、
武士という者はこのくらいの事は常にござ候間、
腹を強う思い留守をたしかに致され候よう、万々頼みまいらせ候。
京大阪へ便りござ候わば、文も御送り下さるべく候。
この方より追々書状着し送るべく候。
近日の中大阪へ帰り候故、さ候わば曽我物語、いろは文庫など送り候間、
それを御読みなされ心をみがく事専一にござ候。
武士の妻は町人や百姓の妻とは違うというところ忘れぬ事、専要にござ候。
色々申し遣わしたくござ候えども、先ずはあらあらかくの如く申し縮め候。
                      めて度くかしこ
    二月十八日
なおなお萩御両親さま御大切に御仕えの事専要にござ候、
そもじにも短気をおこさずまめに留守番致さるべく候、
今月か来月の中にはまかり帰り候につき、さよう御心得下さるべく候
そのため かしこ
  於政との無事

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高杉晋作・井上馨(世外)詩書扇面
高杉晋作・井上馨(世外)詩書扇面

慶応元年の作。

人事時時有変遷
受恩師友半黄泉
愧吾依舊存狂態
赤間関頭又送年

人事時々変遷あり
受恩の師友半は黄泉
愧ず吾舊に依って狂態を存するを
赤間関頭又年を送る


  乙丑歳暮作 為山県老兄
      東行頑愚居士


西馳東奔送数年
世間凡是似浮煙
薄氷歩渉既除夜
阿母憂傷入夢辺

西馳東奔して数年を送る
世間は凡て是浮煙に似て
薄氷を歩渉して既に除夜
阿母は傷を憂い夢辺に入る


 乙丑除夜作 世外

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高杉晋作書翰(入江宛)
高杉晋作書翰(入江宛)

この書翰は、1998年3月に入江家より東行記念館に寄贈されたモノ。
奇兵隊参謀として馬関に在る入江を、晋作が萩か山口の自宅に呼び寄せた内容。
8・18の政変直後の文久3年秋頃のモノと推定されるとの事。
晋作と九一がやりとりした手紙の存在はこれまで知られていなかったモノで貴重です。


馬関御滞留、御間合御座候ハバ、
寸渡、御帰国拙宅ヘ両三日、御止宿被下間敷哉、
御閑談申上度事、如山岳、
御残留ナレバ不及其儀候、草々、拝白
             東行
 子遠兄
      〆
入江子遠兄      東行狂生
      内呈

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高杉晋作詩書
高杉晋作詩書

遊撃軍隊士たちを訪ねた時に詠んだモノ。

賊を滅ぼし正を興すは我が功に非ず
幸い驥尾に從いてこの身を全うす
豊公の事業君怪しむことなかれ
一片の機心今古同じ

遊撃軍の諸君を訪うて即吟す

東洋一狂生東行

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